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半年

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ホスト・ファミリーの高校生の背が伸びた。近所のガキンチョの顔が大人びた。赤ちゃんが生まれた。友達が学校に入った。 ガーナに来て半年たつことを実感する瞬間。 いつも行くネットカフェの店員の兄ちゃんがとても人懐っこい。暑くって狭苦しいカフェで、めっちゃ遅いネットにイライラしてると「Oba, Yaa!」(シスター・ヤー!:私のチュイ語のニックネーム&チュイ語で若い女性と同意語)といって、絡んでくる。お菓子をよく分けてくれて、ネット代もよくまけてくれてた。 「今度はいつ来るの?」「一か月間アクラに行くから11月かな、またね。」外まで追いかけてきて一言「実は今月末アメリカに行くんだ」ビザが取れて「アチェ・カクラ」(しばらく)住むと言う。電気技師として働く彼は、ミシガンに行ってネットワークの仕事をするらしい。いつも夜勤明けに「TYCO(プール付きのスンヤニ①立派なクラブ)にいこうよ」と誘ってくれてた。こんなことなら行っとけばよかった。 その日午後はコミュニティに行く予定だった。コミュニティはほとんどが農民。平日は畑に行き、日曜午前は教会に行き、午後は家で休む。平日夜とか日曜午後とか、そーゆう時間を狙ってコミュニティに行く。 私は明後日アクラにあがる。きっと彼と会うのもこれが最後だろう。そう思うとただのカフェの店員だった兄ちゃんが旧知の友人かのように思えてきて、たまらなくなった。インタビューを終えてフフ(現地食)を御馳走になりバイクを家に置いて来て、駆け足でスンヤニに戻ってきたのは日も暮れてオレンジ色の街頭がともる夜だった。 勤務を終えた彼は友達と戯れていて、そこで私は常々疑問に思っていた現地語での自分の名前の意味を知ることになり、涙が出るほど大爆笑した。(Shokoに似た音→sokode=fuck/sex, mori=condom これってある意味、申し子?) みんなでスポットに行き私はビールを飲み、見たこともないような大皿に入ったフフとスープと牛肉が出てきて、みんなで仲良く手でチョップした。 現地人の友達がいるとタクシー交渉も心強い。がらんとした乗合タクシーの広場で他の客を待つ間におしゃべり。いつもは通じてんだか通じてないんだか分からないチュイ語で会話がぶっ通されるので、彼とこんなに英語で意思疎通したのは初めてだった。彼は紳士に私を最後まで

今日一番嬉しかったこと

ヤヘマ中学校の先生に招かれて、週一で特別クラスを持つことになった。 ヤヘマは村長さんと友達だったり、たまに遊びに行く孤児院やマッシュルーム農家さんがいたりする村。 活動先のコミュニティ・フォコの子供たちもヤヘマ中学校に通っている。 子どもたちといっぱい笑って、何かをしたい。そして伝えたい。学校で活動できたらなー・と、ずっと思ってた。 クラスの趣旨は異文化交流。とりあえず初回は日本語の挨拶、歌をやった。(アユの活動からヒントをもらって「幸せなら手をたたこう」の英語・チュイ語・日本語Mix!!) でも密かなる野望は、地域社会を巻き込んだ環境教育。 プラスチックゴミ(安価な飲料水pure waterの袋)を使ったリサイクル・ペンケースを見せたら、生徒に「次の授業で教えて!」とせがまれ、先生たちも「こりゃいいね~!全校イベントやろうよ」と興味津々! 生徒の親には森林保全活動Green Belt や、植林活動Taungyaに従事している人たちが、少数だけど確実にいる。森と生活はいろんな歴史が今につづく生きた物語。子供たちに伝えて学校で共有することは、地域社会の色んな関係者に知らせる意味を持つ。そこに配属先の森林局も絡めば最高!もしかしたら女性の子持ちオフィサーからは協力を得られるかもしれない。 今日、オフィスの帰りにそのフォコという村にふらっと立ち寄った。10月は丸一か月任地を離れることになる。その前に挨拶して現状を軽くヒアリングしたかった。 村にバイクを止めた瞬間、子供がバーっとむらがってきて、一人の女の子が叫んだ。「コンニチワー!」 うわー!私の授業に、やっぱフォコの子もいたんだ!狂喜乱舞!教えた日本語全部なぞって歌を合唱! そのうちの一人の親が、Green Beltメンバーだと判明!即インタビュー。通訳は子供。(子供は学校教育のおかげで英語が理解できる) いつもご飯を頂戴するアントニー家のスープに、チキンとフィッシュが入ってる。事前に知らせたからわざわざ買いに行ってくれたんだ… 日暮れになると、子供たちが水浴びをする。水源は森の茂みの水たまり。前にきたときよりも干からびて、泥と草が小道をふさぐ。…井戸があればいいのになぁ。アントニーは北方の移民、フラフラ語を教えてもらいながら真っ暗な小屋で伝統料理をほおばる。 村を抜ける帰り道、あの女