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大阪に帰郷♥

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どーもーーー。ショコラです♥ 4月、5月と二回の被災地ボランティア(RQ市民災害救援センター)を経て、 やっとこさ大阪の親戚にご挨拶に行って参りました。 アフリカは西の果て、ガーナに旅立ってから、派遣前訓練合わせ早二年半… じーさまといえば、三年近くも顔を合わせておりませんでした! とんだ不孝孫娘でございます…

はいっ!娘がいうのもなんだけど、若々しいですねー! どんどん若返っていきます、ショコラMAMY! 青山でOLしちゃってるMAMYは毎日キラキラ出勤してます。 そして土日は(だけでなく平日夜も)バレーボールに 勤しんでおります。超元気母。
実は今回、母娘+犬でのドライブ旅行をしてきました。 (wizサスケ11歳! 柴犬&ポメラニアンのハーフです♡)

母娘(+犬)水入らずで一週間二人旅。 大阪に住むMAMYの親戚だけでなく、 せっかくアフリカから帰って来たからこりゃー日本の神様&仏様に ご挨拶でしょ!てゆーんで伊勢神宮、熊野三山、高野山を参拝☆ 紀伊半島と駆け抜けること、海千山千、走行距離およそ1500km ぜーんぶショコラが運転してきたよー★

帰国後、東北で冷えたせいか肩コリが復活! トホホ…なもんで、近所のホットヨガ・スタジオに駆け込み 見事にハマってしまいました…ヨガ万歳! 運転中もヨガストレッチで疲れ解消☆ 海道山道、高速道路、ヨガのおかげで 事故なく安全に運転することが出来ました♡

大阪の祖父母。 ショコラPAPPYは浅草のチャキチャキ江戸っ子。 MAMYはといえば、生まれも育ちも生粋の大阪っこ。 hahaha、なかなか今思えばなかなか過激な環境か? 人生、長く生きてれば様々なドラマがあります。 死線を幾度も越えて来たじーさま、 今でもパワフルに動き回るばーさま、 いつもいつも、ありがとうございます。
この二人のもとに生まれた、子供達とその家族。

大阪の祖父母の子供達は、 みーんな結婚して子だくさん。 毎年毎年、横浜に住むショコラ達一家はPAPPYに連れられ 夏休みは大阪に里帰り。 淡路島、瀬戸内海は小豆島、鴻島、 伊勢志摩、鳥取砂丘にも行ったね。 たくさんの親戚と同年代のイトコたちと遊んだ、 夏の思いで。

My Baby Boy!!!!!? no, no, no...he is YUIKI!! our happiness... how sweet angel! mwah!

ママ友?!

「ちゃいまんがな!」 by 天真爛漫YUMU

ショコラが二年…

登米!etc

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以前はガーナで生活していたこともあり、 JICAやJOCV関係の知り合い、 在ガ邦人&海外、途上国の開発関係者、 そして 前の会社の同僚・先輩方、 (み、皆様、お元気でしょうか???) 学校の友達、地元横浜のご近所の皆様、 MAMYのバレーボール仲間の皆様 etc に 読んで頂いていたこのブログ。
いつもいつも、ありがとうございます。 ショコラは日本でもふわふわ自由に飛んでおりますが (現在の主な生息地:宮城、横浜、温泉) こうして元気に生きております。
でもここ1、2ヶ月はブログ村からいらっしゃる方も多いですね (ガーナ生活終わってから海外ブログ村に登録してみた…遅!) 訪ねてくださりありがとうございます♡ きっとまた海外、アフリカor途上国に出ますんで、 これからもどうぞヨロピコです♥
そして不思議な個人的ご縁でこのブログに繋がっている皆様、 ありがとーございます☆ これからもどーか温かく見守ってちょ!w
そしてそして、ちょー最近、てゆーかたった今しがた? 読んでくださってTweetしてくださったのが、 東北での災害ボランティア仲間。 ありがとー!!! 嬉しいよーん! そんなに褒められたら調子乗っちゃうぞ♡ 実はブログ以外のジャンルを最近書き始めてます 頑張るぞ♬
ご縁あってこのブログを読んでくださった 皆様に「ありがとう」をご挨拶して、 第一弾・災害ボラ日記を 締めくくりたいと思いまーす。
四月後半は宮城県登米市の ある廃校の体育館で二週間暮らしてました。 全てが貴重な経験でした。 でもそうだと振り返り、過去をかろうじて認識し始めたのは翌月、 二回目に被災地入りして再び災害ボランティア活動を始めてからでした。

そう、まさに怒涛の日々だった。


手前のテント群&二階の観覧席で みんな寝袋に包まって寝ています。 ほんっとーーーーーーに、 寒かったーーーーー!!!!!
今とは生活スペースと支援物資の管理スペースの レイアウトがだいぶ違いますね。 被災地での災害ボランティア、 こんな所で生活して、活動しています。

体育館によくついている、出入り口付近のロッカールームのような 一室が、ショコラがずーっと缶詰になっていたデリバリー室。 地図、配達記録、報告書、各種資料に埋もれて あっちの資料をひっくり返しては こっちの地図を広げ、 みんなであーでもない、こーでもないと話こんで。 昼は車内で過ごし瓦礫景色の45号と登米の山道を走りぬけ、 体育館に帰ってくると夜はストーブ焚いてベ…

本吉小泉

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晴れ渡る海岸線沿いの45号線を、 今日も走り抜ける。

毎日違う人と組むから、毎回ドライブデートでw (基本マニュアル免許所有か車持って来た人ってんで男性が多い) いや密室だから合わない人には意外とキツイんだろうけど、 でも丸一日密閉空間を一緒に過ごしたら、 毎回色んな人生が聞ける訳で。
大概は「なんでアフリカ帰り?」ってんで 質問攻めから始まるんだけど、 そう言われるみなさんも色んなバックグラウンドをお持ちで。 来たばかりの4月中旬はまだ学生が多くて、 「そんな若いときから偉いなぁ」 熱心な仕事ぶりにも感心しっぱなしで。
やがて「会社に直訴して休暇取ってきました」って人や、 「たまたま会社辞めてたんで、長期で来ました」って人や、 中には「会社辞めて来ました!」って猛者もいてw もちろん中にはショコラ達のような 「無職だから来ました〜」ってユルイ方も結構います♡
本当に色んな人がいて。 北海道や種子島から来てる人もいれば、 地元が登米や仙台で被災している人もいたりする。
覚悟決めて、本当に全くの無給で、自活の準備万端で 被災地に乗り込んできてるだけあって、 (しかも母体が日本エコツーリズムセンターという アウトドア団体の集まりなだけあって、 野外サバイバルのプロ(自称・冒険家…)が多い!)
恐れ入ります、 無菌天国の先進国日本にも こんなにタフな老若男女がわんさか居たんだなぁ

デリバリー三日目から いらっしゃったばかりの新人ボランティアのおじさまと ペアを組んだ。
すみません、 こんな浦島太郎状態の娘と一緒に 地図とカーナビ睨めっこしながら 住所と名前を探しあたふたするハメになっちゃって…

でも、そうはいっても、現場はそんな こっちの事情を待ってくれるでも、 手加減してくれるでも何でもない。
もうとにかく無我夢中 いつだって真剣勝負である だって被災者の方々と最前線で接する仕事 毎回体当たりで、玉砕しては、 挫けず次も特攻隊で戦地におもむく
一軒一軒、出会った全てのおんちゃん、おばちゃん、 がきんちょ共、じーちゃんばーちゃん、 みんなみんな、全てのことを忘れたくない
…って言ってるそばから、 気仙沼のコメリで声掛けてくれたおばちゃん 「あらー!森さん、ひさしぶり!」 ハイ、ひさしぶりです…! 元気いっぱいに応えるも、 名前が出てこない(泣) ごめんなさい(大泣) 覚えててくださってありがとうございます(号泣)

震災という突発的な事故によって、 日常を失い不幸のどん底を経験した…

歌津

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翌4月20日
「マニュアル自動車免許を持ってる」 「地図が読める」
この単純な理由だけでショコラに割り振られた仕事は、 「デリバリーチーム」 という支援物資の配達屋さんだった。

まだ雪の残る三陸海岸を走り抜ける。

ナイジェリアの写真家、クリスもうなった一枚。
三月末の被災時に比べたらなんてことない小雨
だけどアフリカ帰りのショコラには、 本当に寒くて寒くて。 ただでさえ現実感のない日本にぽつんと 振り落とされて迷子になっていたのに、 寒さが恨めしくて切なくて、 桜の季節でさえ心は温めてくれなくて、 象牙海岸の青と灼熱の砂塵に 身も心も恋いこがれていたのに。

方位磁針は完全に磁場を失い 上下左右をくるくる回り始めた。
まったくもって現実感のない景色。
かつて三陸海岸沿いを走ったのは学生時代。 45号線を北上して東北を一周して、 岩手の平泉や福島の猪苗代湖を 見て回ったあの時以来。

私にデリバリーの仕事を引き継いでくれた 吉田のおじちゃんと回ったのは、 南三陸町の歌津地区。

こんな山道の津波想定区域の看板。 一体誰が予想しただろうか、 あの黒い波が襲ってくることを。

吉田のおじちゃんは、 地区と名前と道がちんぷんかんのショコラに いろんなことを教えてくれた。

三月末からの緊急支援の波が一時落ち着き、 ボランティアの数も急速に縮小してしまったこの時期。
被災直後は南は大船渡から北は女川までカバーしていた RQ市民災害救援センターのデリバリー活動。
河北ボランティアセンターや唐桑ボランティアセンターの設立も 相まって、本部登米かたのデリバリー区域も一時縮小。
偶然このタイミングで デリバリーにやってきた 元協力隊コンビは、
ニジェールくん→気仙沼市本吉地区&小泉地区 ショコラ→南三陸町歌津地区
を引き継いで、 デリバリー操業に走り出したのだった。

支援物資とボランティアの寝袋テントで埋め尽くされている ある廃校体育館の一角で、 デリバリー会議が日夜繰り広げられている。

翌21日 NZからのボランティアの引き継ぎで 同じく歌津地区を回る。

彼らは「今まで活動中にこんなことしたことないけど」