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Previous Research of African Popular Arts★2016後半ガーナ調査/大学で文献講読

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9 月にガーナ大学の指導教官 Dr. Kwame Amoah Labi と面談し、年内はガーナの看板絵の先行研究を網羅し、アフリカンモダンアートの中の位置づけを探ること、そしてガーナアート、アフリカンモダンアートの基礎知識を身につけること、という道筋を立てた。 年末のアクラ調査、翌年に始まるクマシ調査を見越して。 看板絵は Wayside Art とも呼ばれ、アフリカを代表する「アート」ではない、アフリカが苦労のすえ築き上げた「モダンアート」ではない、とする見方がアフリカ人にもアフリカンアート関係者にも多数だが、 Dr.Labi はそれとは正反対の立場のようだった。 "Let's put signwriters, graphic designers, and 'Almighty God' as apart of modernization and modernity of Ghana, and think as a part of African modern art." 看板絵師も、グラフィックデザイナーも、私の論文のメインテーマ(予定)のクマシの絵師も、みなすべてアフリカの「近代化」「近代性」の一部であり、そして「モダンアート」として位置づけ考えてみようではないか。 この発言の背景には、クマシの路上看板絵師と大学美術教育のアートを比較検討し、この二極のダイナミズムこそがクマシのアートを極めて他とは異質なものにさせている、大学美術が優位なのではなく双極性がクマシのアートの源泉であり魅力なのだと結論づける Atta Kwame を引いてのものだった。 そして私にはそれがとても自然で、魅力的で、ワクワクするものだった。だって明らかに私は Atta Kwame の追従者だから。 Atta Kwame は美術史家であり、ガーナのモダンアートを代表する画家でもある。アフリカのモダンアートは長く美術としては認められてこなかったがために、先に「アート」に仕立て上げられた民芸品に対するアレルギーが強い。 Atta Kwame はそれらを優しく包み込み、路上の文化を認め、それを含めてのクマシというひとつの都市の、ガーナというひとつの国のアートの多様性とダイナミズムを描いたのだ

Shokola Life Returned After 3 years3★3年振りの復活、近況報告

Heyyyaaaaaallll!!!!! SHOKOLA LIFE has returned after the silence of three and half years. Beynod lots of miracles, crazy bombs, and dramatic transformation, this blog is reborn here with my passion, joy and fierce to spread love and light on earth, in our universe. Also as my notes for my research fieldwork, reminders of african arts issues and cultural anthropological thoughts. 2012 年のロンドン・ホームレス日記(笑)から途絶えて3年半 今日よりSHOKOLA LIFEを復活します! この3年半は25ansという高級ファッション雑誌のブロガーとしてだけちょろちょろ不定期に書いていたり、妊娠・出産という人生一大イベントを迎えて、2016年前半はSNS全般を活動休止していましたが、2016年後半は海外生活に突入したこともあり、また自由に書きたいなと。 あの自由なSHOKOLA LIFEのほうが好きという方々にエールをもらい(私もこっち書いてる自分のほうが素でラク。笑)また調査の気付きや研究メモ的な、諸々の整理にも使いたいなと思い。 ざっくり今までの経緯と状況を記すと、 2012年極寒のロンドン・ホームレス生活&国際弁護士宅ステイを経て、 ガーナに渡航しまして、まー超怒濤なクリスマスを過ごし、 その甲斐あってDeborah VanessaのバックダンサーとしてConference Centreという大舞台デビューし、 日本人で初めてBanana Azontoを発祥地ガーナで踊る(笑) 年明けまさかの日本より美術コーディネーターの仕事が舞い込み。 ご縁を繋いで頂いた @kameisi (Twitter) さんにはその後息子の高熱時にドバイでも助けていただきもう一生頭が上がりません! 国際交流基金という超しっかりしたと

UK★初London/初Squatting(Homeless)/初Gay Clubでparty hard♬②

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初夜、寝れない。 寒すぎる。暖炉はあるが火はない。 「つける?何か焼こうか?」 野菜を買ったり、肉を焼いたりするらしい。 お腹ぺこぺこだったのに、食欲も失せる。 箱一杯のドライフルーツがあったので、それをつまむ。 「おいしい!」 「あーそれね、故郷のギリシャのだよー、おいしーっしょ?」 特にデーツとイチジクが最高! 不在の宿主の寝袋があるので、ダウン着たままもぐり込む。 寒くて凍え死にそう。 てゆーかまず、家に辿り着く前に寄り道をした。 「自転車を直す」 といって、スーツケース転がしながら寄った修理屋さん。 「ここも、Squattingのコミュニティなんだよね。明日仕事を紹介してもらうんだ」 Elephnat Castleの裏路地を抜けた、レンガと石畳の奥の住宅街。 のように見えるが、壁一枚へだててアングラな世界が広がる。 そうして着いた宿は、やっぱ一見ホームレスの密集団地とは思えない普通の建物。 でも一階は昔スーパーだったのか、今は廃屋状態なのが伺える。 確かに東京じゃ、こんな放置されたビルは見んな~… 入って愕然、真っ暗なワンルーム。 ここに見知らぬギリシャ人と寝るのか?! 背筋が凍る。 バックパッカーのサイト「Couchsurfing」では、いくもの評判をもらっていた宿だ。 欧米系のバックパッカー、あなたたち一体どーやってこのワンルームでサバイバルしたんですか!!!!!!謎すぎるが、今宵はここで過ごすしかない。軽く恐怖。寝れない。 SHOKOLAをこんな宿に招待した張本人の映画学生は、ドキュメンタリーを撮影しにいったっきり帰ってこない。同居人のギリシア兄ちゃんと部屋で話し込むと、住民たちが帰ってきたのかワイワイがやがや、野太い歌い声が、そして今にも床が抜けそうな木の階段の叫び声があたりにこだまする。 「上にポーランド人が住んでるんだよ」 Squattingってゆーより、Ghettoじゃないか? 床に転がる冊子 「How To Squat」 これに書かれているのは、どうやってホームレス生活を送るか。 本当にホームレス生活を送る必要があるのか? ホームレス生活は、イギリスの法律ではどのように権利があるのか?

UK★初London/初Squatting(Homeless)/初Gay Clubでparty hard♬①

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遡ること、今から二ヶ月前。2012年11月の終わり頃。 辿り着きました人生初めてのLONDON! 12月のロンドンなんてめちゃんこ寒いんだろーなーと思い十日間の滞在のためだけにダウンと長袖とヒートテックを持参。 ミャンマー寺院で静寂の十日間を過ごし、バンコクと雲南で二回も乗り継いで、やっとの思いで辿り着いたはるかなる極寒欧州。 まずはヒースロー空港、イミグレのおばちゃん超感じ悪い。 滞在目的と期間と帰路チケットを滅多刺しで質問さる。 話に聞く通り、イギリス入国、怖!!! 「アンタ、日本人にしちゃ英語上手じゃない」と小馬鹿に笑われる。 「アフリカの英語圏で開発の仕事をしてたもんで」と穏やかに答えると、 「あ〜らいいわねー、じゃー彼氏がたくさん出来たんじゃなーい?」 と嫌みったらしく返される。 「ま、別にここでも二人や三人、いたって構わないけどね」 と隣の窓口のおばちゃんも一緒になって笑う。 「わーお、さっすがロンドン!!!さぞやエンジョイされてるんですねー♡」 と応戦。顔を見合わしてして失笑するオバハン達。日本人小娘ナメんなよ!!! さてさて、 ヴァンサンカンのエレブログ では 「 LONDON一押しレストラン★ARCHIPELAGO 」 と題して華麗に始まったロンドン滞在記ですが…実はその前にトンでも裏話が隠されておりました初ロンドン。。。 今、世界のバックパッカー達に人気のソーシャルネットワーク 「CouchSurfing」 旅の出会いや交流、情報交換などを目的としたサイトで、身元を明かして登録することで、お互いに旅先のホストやゲストになります。もちろん紹介してくれたのはBangkokはカオサンで出会った、インティ始めDeepな欧州系バックパッカー達。 右も左も分からぬ初ロンドン。 初めてのホストさんは、ロンドン大学でアートを学ぶ学生さん。 ロンドン大学なんて超一流、そこで映像専攻してるとか面白そう! 「shootingやってるかもしれない。時間が合えばexhibitionとか一緒に行こうよ」 初めての地下鉄Tubeを乗り継ぎ、やってきましたZone1の端Elephant Castle. 超寒い。。。。。 冬のロンドン、想像しちゃいたけど、クソ寒い!!!!! 日もとっぷりくれた

TURKEY★Asian Sideでギャングと暮らし、毎日フェリーでEuropean Sideを観光し、健全ライフを全うする。

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Istanbul / Kadikoy 文字通りヨーロッパとアジアの狭間。 イスタンブールに来ました! トランジットのためショート・ステイでしたが、さすが土地柄、いろんな人に出会いました。 まるでギャング集団ですが、この異種多国籍の中に紅一点囲われてました(笑) まさに逆ハーレム。ご本人たちからも「Braveだね」とのお言葉が… ロンドンで壮絶・裏社会体験の後だったんだけど、(報告が前後してます、これからアップします)それにしてもギャングと同居生活はなかなか…気疲れが…(笑)しました。ある意味安全だったけどね!!! 西洋社会(日本も含め)ではレディー・ファーストで女性は守られる対象ですが、ところ変われば対象も手段も変わります。 この多国籍集団にいらっしゃったイラン人青年。 真面目でチャーミングでナイスガイ♡レイ。 彼なんとイランでエンジニアを学んだ後、難民としてトルコで登録され今はそのまま首都アンカラ近くのUNHCR(国連難民高等弁務官)オフィスで通訳として働いているそうです。 シーア派の戒律の厳しいイランでは男性と女性が二人で歩くこと禁止されていて、見つかれば鞭打ちの刑なのだそうです。そのため夜クラブなどに男女連れ添っていく場合は、女性10人の軍団に対して男性1人で同行し、女性が男性を守りながら夜遊びするそうです。まさにハーレム。 「だからSHOKOLAが俺らのことを守るんだよ!」 なんて笑いながら言われましたが(焦) ところ変われば慣習も立場も変わる。 Blue Mosque その他にもなかなか知り得ないイランのお国柄や生活事情を拝聴。 イランにはイスファハーンなどのペルシア文明の素晴らしい遺跡がたくさんあります。 やっぱ自分の目で見てみないと分からないものです、何事も。 レイと知り合い、またまた世界が広がりました。 Bosphorus Strait 彼の努力にも脱帽。だって三ヶ月トルコ語勉強しただけで、UNで通訳として働いてるって凄いことです!他にもメキシコ人の殊勝な若者カルロスと延々恋バナしたり ❤ 自分のチャンスを掴み、才能を磨いている若者は輝いていて素敵です。

Myanmar★Vippasana Meditation〜瞑想修行を終えて〜

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Most Calm and Peaceful 10 Days In My Life ! メディテーション・センターはどうだった? と聞かれたら、間違いなくこう答えます♡♡♡ メディテーションの方法を具体的に習い、24時間フルで実践。 集中、集中、集中。 Practice, Practice, Practice.... むっちゃ幸せでしたね〜 ハッピー♡♡♡ってゆーんじゃなくて、完璧な静寂の至福。。。 出たくなかったーーーーー!!!!泣 終わるとき、切なかったです>< 人によっては座禅や歩くので足腰が痛かったり、ご飯が食べられないのが辛い方もいらっしゃいました。 SHOKOLAはそれらは気にならず、むしろ時間があればあるだけ瞑想に打ち込みました。 十日間というミニマム・コースで時間的にも限られていたので、集中度MAX。 いやー、まーそれが難しいんですけどね。 Dhamma Talkをお勉強の時は学生なみにノートの齧りつきました。あとはひたすら集中、実践。会得にはまだまだ永い時間と努力が必要ですので、これからもヨギー(瞑想者)を続ける所存です♬ ヨーロッパの研究者に会いましたが、彼らは仏教の教えとは切り離して瞑想方法や技術を学びにきている印象を受けました。でもやっぱアジア人としては、上座部仏教の教えにも深く感銘しました。個人的に素敵なMonkやBikkhuniに出会い、彼らと一緒に生活を共にし実践に励むというのがかけがえのない貴重な体験でした。 将来の夢、比丘尼♡♡♡ ちなみに今回実践したのはミャンマー仏教のヴィッパサーナ瞑想です。 東南アジアは上座部仏教です。(小乗仏教とは東アジアの大乗仏教からの蔑称ですので正式ではありません)ヴィッパサーナ瞑想とは別名インサイト瞑想とも呼ばれ、観察や洞察を行う瞑想方法です。ミャンマーにはたくさんのメディテーション・センターが存在します。仏陀の教えによる瞑想理論は同じですが、その手法がそれぞれ異なります。 今回お世話になったそのひとつで、Chanmyay Yeikthaは国内外に支部を持つ大きなメディテーション・センターです。ヤンゴン・センターでは以下のような一日のスケジュールで瞑想を実

Myanmar★シュレの仏塔と旅の再会

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メメとのドライブから一週間。 ナオミのオフィスに通わせてもらい、部屋もあてがわれ、wifiルーター使い放題でバンコク記事をアップしていたという、なんとも贅沢なヤンゴン生活。 ストリートのご飯も、レストランのご飯も、タイ料理屋で生海老とビールとか!!!!! おいしーものもいっぱい食べたね♡ヤンゴンOfficeライフ♬ ですがこの旅で見つけたもうひとつのミャンマーの目的を忘れてはいけません。 そう、カオサンの旅人達にオススメされた「メディテーション・センター」で瞑想修行。 さっそくリサーチして、Chanmyay Yeikthaというメディテーション・センターを予約。 人気センターは事前予約が必要で、すでに満室状態。特に外国人は枠が少ない。 都市型で毎日自宅から通うセンターもあれば、郊外で自然の中で修行するフォレスト・メディテーション・センターなるものもある。仏陀の教えは共通だが、方針や実践方法、一日のスケジュールなどは各施設で異なる。 さて、カオサンの安宿で出会った、黒めがちなスイス人の不思議アレックス。 SHOKOLAに遅れて数日前にヤンゴン入りした彼。 ダウンタウンの中心サークルのど真ん中にあるシュレの仏塔で、待ち合わせ。 携帯電話はナシというアナログ・デート! ため息が出る程、綺麗。。。。。 この黄金パゴダ(仏塔)、ランナバウトのど真ん中にあるのだから可笑しい。 が、待てど暮らせとアレックスが来ない。行き違ったか? アナログ・デート。。。。。 待つこと小一時間。道路に面したパゴダの入り口で遭遇! 向こうは早く着いて、もっと待ってたもよう! ごめんね! すぐそばの飲み屋の、道路に出されたプラスチック・チェアにかける。 「明日からメディテーション・センターか!わーお、最後の晩餐だね」 最後の晩餐て。笑 ミャンマー人にも修行にいくというと驚かれる。 メディテーション・センターいったら、一体どーなるの?? 「いいよ、終わるととってもリラックスして穏やかになれる」 穏やかでちょっと不思議アレックス。 聞くと『国境のない医師団』で震災後のハイチで働いていたそう! その前後も大手