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こども元気村!in唐桑

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はーい、えーと。 ズボラな管理者により、記事が消えてしまって(泣) 一ヶ月半前の初三陸海岸上陸から 記憶を遡って行きたいと思います。 おいしい紅鮭になるぞ!

まだまだ寒さの残る4月19日
辿り着いたは宮城県気仙沼市 初仕事は唐桑小学校にて行われた 「こども元気村」のお手伝いでした。

落ち込んでる被災者のみなさんに ちょっとでも笑顔を取り戻してほしい。 自ら立ち上がるには、 ひとりひとりの心の中に ちょっとずつでも元気が戻ること。 傷ついた大人たちへの心への一番のビタミンは 子供の笑顔と元気。 子供が遊び、笑い、走り回って、 避難所のみんなにちょっとでも元気を取り戻して欲しい!
そんなコンセプトから 全国の自然学校や野外教育関係団体が集って 開かれたこのイベント。
ご縁あって、ショコラもお手伝い♬

体育館で遊ぶ子供達
地元の演歌歌手あやかさん(二十歳!) も民謡や演歌を熱唱
世界五大陸をチャリやバイクで 縦横無尽にかけまわる 奥平さんのお話が聞けたり

屋外でのピザ焼きは、めっちゃ寒かったけど! 手凍えたし!最後雨にミゾレまじってきたし!
でもドラム缶で焼くピザはめっちゃうまくて、 ピザを自分で作って シートに名前書いて 焼けたら自分で食べてた子供達の 笑顔と言ったら
アフリカ帰りのショコラははっきし言って 無表情でマセた日本のガキは、 なんだか個々の識別がつかなくって。
でも唐桑で見た子供達、 ちゃんと自己主張できるし 笑うし、むちゃ可愛いし! みんな表情や瞳がキラキラしてて。
朝は曇っていた大人達の表情も 午後にはちょっと明るさが戻っていたような気がした。

今回参加した災害支援団体の本拠地は、 宮城県内陸の登米市というところにある。
登米と三陸海岸の往復の道で見た ありえない景色。
これが現実だと頭が認識する間もなく 車窓は足早に壊れ果てた町並みを映し出して行った。

いざ、東北へ!

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さてさて、それではいよいよ本題です。 行って参りました、東北へ。 日本に帰ってきてからしばらくゆっくりする予定だったので (つまりはニート!VIVA無職☆) 日本で何か出来ることがあれば、と思っていました。
ガーナで地震と津波と原発のニュースを聞いたときから 胸のざわつきはおさまることがありませんでした。
やっぱ、このタイミングで日本に帰ってきたの、 何かのおぼしめしでしょう? 本当になんの意図や思惑もなく、 ただ自分に出来ることが少しでも何かのお役に立てればと、 アフリカ帰りだし、たいがいどこでも寝泊まり出来ると思うし! 今ならカップラーメンがご馳走だし! バケツ一杯で風呂OKだし!
JOCAやNGOやいろいろ登録して連絡待ちの中、 同じ西アフリカのニジェール共和国に行った同期くんから 「一緒にボランティア行ける人、募集中」 とお声を掛けて頂きました。
ちょっと迷ったけど、 先輩が行ってる岩手県の宮古も気になったから、 昔 父が住んでいた。
ニジェールくんが行くのは三陸海岸南部らしい。 一体どこだか、よく分からない。 でもこれ以上無駄に時間を過ごすと、東北に行きそびれるかも。 4/11の震災直後、一抹の不安が頭をよぎった。
「行きます!」
手をあげた翌週4/18、 ショコラは集合場所の長野駅にいた。

四月中旬はまだ肌寒く、 昼間の太陽が雲間から顔をのぞかせると ほっと心が暖まるのだった。

おやき!!!!! あ〜、お茶したい。 もう完全に観光気分である♬ そばクレープからなにまで、 土産物を食べ尽くす。

だって
ここは懐かしの善光寺の参道。

小学生の頃、 毎年来ていた冬の戸隠ゲレンデ。 その道中、善光寺にみんなでお参りしたの、 今でも覚えてる。

私はブルーのスキーウェアを着ていて、 弟達はグリーンのウェアを着ていた。 父はとんがりイカさん帽子をかぶって、 母は花柄のウェアだった。
スタッドレスのタイヤに換えた車に乗り込んで、 スキー板や靴を積んで、 後部座席を倒して、荷物やブランケットも一緒で、 お菓子とUNOは必需品。 寒い冬の旅にあれほど胸がときめくことは、 もう二度とないんじゃないだろうか。

毎年、仲良し家族3組くらいでスキーに来ていた。 2月の本格的な雪は、新潟の苗場スキー場のもっと山奥、 コシヒカリのおいしい魚沼郡の津南町。 そして3月の春スキーは、毎年ここ長野の戸隠だった。 手前の軽井沢、志賀高原を通り越して、 なぜかこれも山奥の戸隠まで足を伸ばしていた。
仲良し家…