いざ、東北へ!

さてさて、それではいよいよ本題です。
行って参りました、東北へ。
日本に帰ってきてからしばらくゆっくりする予定だったので
(つまりはニート!VIVA無職☆)
日本で何か出来ることがあれば、と思っていました。

ガーナで地震と津波と原発のニュースを聞いたときから
胸のざわつきはおさまることがありませんでした。

やっぱ、このタイミングで日本に帰ってきたの、
何かのおぼしめしでしょう?
本当になんの意図や思惑もなく、
ただ自分に出来ることが少しでも何かのお役に立てればと、
アフリカ帰りだし、たいがいどこでも寝泊まり出来ると思うし!
今ならカップラーメンがご馳走だし!
バケツ一杯で風呂OKだし!

JOCAやNGOやいろいろ登録して連絡待ちの中、
同じ西アフリカのニジェール共和国に行った同期くんから
「一緒にボランティア行ける人、募集中」
とお声を掛けて頂きました。

ちょっと迷ったけど、
先輩が行ってる岩手県の宮古も気になったから、
昔 父が住んでいた。

ニジェールくんが行くのは三陸海岸南部らしい。
一体どこだか、よく分からない。
でもこれ以上無駄に時間を過ごすと、東北に行きそびれるかも。
4/11の震災直後、一抹の不安が頭をよぎった。

「行きます!」

手をあげた翌週4/18、
ショコラは集合場所の長野駅にいた。


四月中旬はまだ肌寒く、
昼間の太陽が雲間から顔をのぞかせると
ほっと心が暖まるのだった。


おやき!!!!!
あ〜、お茶したい。
もう完全に観光気分である♬
そばクレープからなにまで、
土産物を食べ尽くす。


だって

ここは懐かしの善光寺の参道。


小学生の頃、
毎年来ていた冬の戸隠ゲレンデ。
その道中、善光寺にみんなでお参りしたの、
今でも覚えてる。


私はブルーのスキーウェアを着ていて、
弟達はグリーンのウェアを着ていた。
父はとんがりイカさん帽子をかぶって、
母は花柄のウェアだった。

スタッドレスのタイヤに換えた車に乗り込んで、
スキー板や靴を積んで、
後部座席を倒して、荷物やブランケットも一緒で、
お菓子とUNOは必需品。
寒い冬の旅にあれほど胸がときめくことは、
もう二度とないんじゃないだろうか。


毎年、仲良し家族3組くらいでスキーに来ていた。
2月の本格的な雪は、新潟の苗場スキー場のもっと山奥、
コシヒカリのおいしい魚沼郡の津南町。
そして3月の春スキーは、毎年ここ長野の戸隠だった。
手前の軽井沢、志賀高原を通り越して、
なぜかこれも山奥の戸隠まで足を伸ばしていた。

仲良し家族から冬に仕込まれたのは、
みんなで遊んだ花札とビリヤートだった。
学生時代の基礎は、小学生の時に出来上がってんだなぁ。


その道中にあって、いつもお参りをしていた
「牛に曳かれて善光寺」!

懐かしいなぁ、幼なじみのママさん
千恵ちゃんが手前の山を見てすっとぼけた。
「メシヅナやま?」
うちの父、新ちゃんがすかさず突っ込みを入れた。
「イイヅナやま!」

千恵ちゃんの旦那さんが亡くなった翌年、
うちの父が亡くなった。
どこまで仲が良いんだ、全くもう、
冥土でよろしくやっといてくれ。


そんな懐かしい思いでがバーッと一瞬走り抜け、
一路新潟へ♬
ボランティア同期くんを一人ピックアップして、
全員勢揃い!
いざ、三陸海岸へ!!
(まだ何県のどこに行くのかよく分かっていない)


晴れ渡る日本海に、一瞬龍が浮かんだ。


最強の災害ボランティア仲間♡

ベンガル語を自由自在に操るバングラディッシュ帰りの
バングラちゃんfrom長崎!

人間開発指数は世界最下位、協力隊派遣国No.1自然環境の厳しい
サハラ砂漠の国からお越しのニジェールくんx3!
from長野、大阪、新潟

みなさん地方色豊かでございます。
そして横浜生まれ横浜育ち、ガーナ帰りのショコラ♬


ショコラはひとりだけ訓練所も違ったので、
(途上国に派遣される前に三ヶ月間山に籠って濃い研修がある)
彼らと会うのは二年半ぶり。
しかもその訓練所に入る前、
たったの5日間の研修を大人数で受けたこっきりの
ご縁。
人の世は誠に不思議です。


この時はまだ、
宮城県の沿岸部がどのような状況なのか、
南三陸町がどんな場所なのか、
歌津がどんなところなのか、
まだ何も知りませんでした。
何も。

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