本吉小泉

晴れ渡る海岸線沿いの45号線を、
今日も走り抜ける。


毎日違う人と組むから、毎回ドライブデートでw
(基本マニュアル免許所有か車持って来た人ってんで男性が多い)
いや密室だから合わない人には意外とキツイんだろうけど、
でも丸一日密閉空間を一緒に過ごしたら、
毎回色んな人生が聞ける訳で。

大概は「なんでアフリカ帰り?」ってんで
質問攻めから始まるんだけど、
そう言われるみなさんも色んなバックグラウンドをお持ちで。
来たばかりの4月中旬はまだ学生が多くて、
「そんな若いときから偉いなぁ」
熱心な仕事ぶりにも感心しっぱなしで。

やがて「会社に直訴して休暇取ってきました」って人や、
「たまたま会社辞めてたんで、長期で来ました」って人や、
中には「会社辞めて来ました!」って猛者もいてw
もちろん中にはショコラ達のような
「無職だから来ました〜」ってユルイ方も結構います♡

本当に色んな人がいて。
北海道や種子島から来てる人もいれば、
地元が登米や仙台で被災している人もいたりする。

覚悟決めて、本当に全くの無給で、自活の準備万端で
被災地に乗り込んできてるだけあって、
(しかも母体が日本エコツーリズムセンターという
アウトドア団体の集まりなだけあって、
野外サバイバルのプロ(自称・冒険家…)が多い!)

恐れ入ります、
無菌天国の先進国日本にも
こんなにタフな老若男女がわんさか居たんだなぁ


デリバリー三日目から
いらっしゃったばかりの新人ボランティアのおじさまと
ペアを組んだ。

すみません、
こんな浦島太郎状態の娘と一緒に
地図とカーナビ睨めっこしながら
住所と名前を探しあたふたするハメになっちゃって…


でも、そうはいっても、現場はそんな
こっちの事情を待ってくれるでも、
手加減してくれるでも何でもない。

もうとにかく無我夢中
いつだって真剣勝負である
だって被災者の方々と最前線で接する仕事
毎回体当たりで、玉砕しては、
挫けず次も特攻隊で戦地におもむく

一軒一軒、出会った全てのおんちゃん、おばちゃん、
がきんちょ共、じーちゃんばーちゃん、
みんなみんな、全てのことを忘れたくない

…って言ってるそばから、
気仙沼のコメリで声掛けてくれたおばちゃん
「あらー!森さん、ひさしぶり!」
ハイ、ひさしぶりです…!
元気いっぱいに応えるも、
名前が出てこない(泣)
ごめんなさい(大泣)
覚えててくださってありがとうございます(号泣)


震災という突発的な事故によって、
日常を失い不幸のどん底を経験した被災地の復興

出口のない砂蟻地獄の貧困システムの中で、
明るい貧乏を地でいく発展途上国の開発

アフリカ・ガーナの村落開発の現場でやってきたことは、
援助慣れした現地の人々の自立的発展を促すために、
いかに金や物を落とさずにキッカケを作り、
活動を黒子となって見守り、
走り回って応援するかだった。

緊急支援はそれとは対象的に
いかに支援物資を必要な場所に落とすかで、
物や形になる分それはとても分かりやすく、
臨場感をもって現場の様子を、支援の様子を知ることが出来た。

その分、必要な場所に行き届かない、
逆にいらない場所に必要以上に落ちる片寄った
「援助の押しつけ」も見せつけられたりしたわけで

でもそれはアフリカの開発現場を見て来た分
そういった問題にナーバスに、
またシビアになっている私の方が
一般日本人と比べてズレているらしく

いったい援助って何よ
誰も正しいやり方なんて知りゃぁしない
ボランティアだってただ出来ることをしてるだけ
理想をたれるだけのエゴの集まりか

矛盾と無力感で途方に暮れながら、
毎夜報告書を読みあさり、
先輩ボランティアの話からあらゆる情報をたぐりよせ、
昼間に聞いたおんちゃんおばちゃん達の話と結びつけながら、
インターネットで被災地の状況や
行政の動きを追っかけ、
ビールとおつまみは毎夜どなたからか提供頂き♡
あーでもない、こーでもないと
夜更けまでストーブ囲って
ベンチコート羽織って
寒い寒い体育館で夜を過ごしていたのでした


なんか、こーして書くと
いろんなことを思いながら
体当たりで災害支援の現場をこなしていたのだけれども

現地で何を感じていたかって、
それはとっても単純で。

地縁や家族関係がとっても濃い東北の人々
(その中でも南三陸町の歌津地区は独特の濃い〜漁村文化の
地域柄であることを実感するのだけれども)

私は物資のお届けで
「最近どう?」
ってお茶話するあの瞬間が好きなだけで。

それは、いつでも客人を温かく歓迎し、
ひとつの家に大家族で暮らすアフリカの田舎と同じだから。

ガーナの村落開発の仕事は挨拶回りから始まり、
客人には水をコップ一杯差し出すのが風習で、
次に大概、家にあげられご飯を頂き
何時間かくっちゃべった後、
日が暮れてから「あれ?用事ってなんだっけ」
ていうノリが通用する時間の流れに生きててw

私が接した宮城のおんちゃんおばちゃん達は
例外なく皆温かくて、
配達に行くと大概
「コーシー飲んでくっちゃ?」と誘われ、
お茶菓子とお漬け物付きで掘りごたつでお世話になりw

いや、毎回して頂くと本当に申し訳ないので!
玄関先で全然構わないんだけど、
ただ元気かな?どうしてるかな?って顔出して、
笑顔が見れるその瞬間にほっとするだけで

プロのカウンセラーじゃないけど、
辛いことあったら吐き出してくれていいから、
何も出来ないけど肩を抱いて手を握って、
一緒に泣くことしか出来ないけど、

ただ 誰か
あなたのことを思う人が
ここにもいますよ

避難所に入れなくても
行政支援を受けられなくても

ひとりじゃないよ

そう伝えられたら


東北本部の登米から出動する支援物資配達担当の
デリバリーチームは、
行政支援や他団体の支援の行き届かない
個人宅や民泊(被災者が様々な事情で避難所に入れず、
知人や親戚などの家に身を寄せ避難している場合のこと)
が主な配達先だった

避難所で生活する避難民はまた違う問題を
抱えていたり、これはもう本当に
地区によって、区長によって、
行政によって現場は千差万別で、
一概には言えないのだけれども、
生活に困窮するとやっぱし人間平常心を失って
穿った物の見方で全てをとらえてしまうし

ただ私は私の接している人の心には、
いつもそう寄り添っていたいと思う


桜前線はいつ東北を通過したのだろう
登米でボランティアのためにボランティアをしてくださってる
地元のおんちゃん達がいて、
その方からもらい湯を頂きに行ったお庭で見た
見事な夜桜

ここでも「あんだテレビさ出とった人かね?」と言われ
美しく褐色に焼けた肌のおかげで仕舞いには
「あのフィリピン人の姉ちゃんはまだがね?」
と言われw

本当に良くされ過ぎて、
取れ立てほやほやの新鮮な山菜や鹿肉(!)
を頂いたりして、
一体なんのためにボランティア行ったんだかw
てな位にもてなして頂いたその優しさ、
溢れるホスピタリティも、
なんだかアフリカの田舎を思い出すようで。


いつもお水を運ぶ、
本吉町のおうち。

ここは沢ごと流され、区長さんも行方不明なため
地区をまとめる人がいなく、
支援が滞っていた。
市町村合併で出来上がった現在の線引きには
なかなか難しい現状があるようで、
民間の支援団体がそういった支援の穴を埋めるように
活動を展開している。


何もかも津波に破壊され、
まるで戦場の焼け野原のように
瓦礫しか残っていない街跡。

ある日、
本吉の小高い丘にあるお寺の横を通り過ぎたとき、
色彩を失った瓦礫の景色の中で
可憐な水仙の花が列になって咲いているのが目に入った。
和尚さんや熱心な檀家さんが、津波にの被害に負けず
水仙を綺麗に植え直したのだと思った。

その午後の配達でお水を下ろし、
「コーシー」を頂き世間話になった頃、
家を案内するよと言って、
被災した家屋を見せてくれた。

おばあちゃん達はあの日、
津波の警報で裏山の斜面を駆け上り、
住んでいた家や工場、自分の田畑が、
下の方のからやってきた黒い波と
どこからか流されて来た屋根と漁具とともに
山間の木々がメキメキと轟音を立てて倒されて行くのを
なす術もなく固唾を飲んで見守っていたという。
その時駆け込んだ本家の空き家に
今も避難し、住み込んでいる。
その中心の世話焼きなおばちゃんは、
数世帯分の支援物資を取りまとめ、
近所の高齢者などにも気を掛けている。

そのお家を見せて頂いた庭先に、
鮮やかなチューリップが見事に咲き誇っているのが
目に入った。

「いづもならこぉんぐれい、大ぎぐ育づんだよ。
でも波さ飲まれてね、今年はおめぇ、
こぉんなに小さぐしか育だんがっだんよ。」

色を失ったかのように殺伐とした瓦礫の大地。
津波の後に植たのだろうと思い込んでいた。
そう思うくらい周囲の環境と全く異なる
色を放つ植物の美しさに圧倒された。

チューリップも水仙も、
津波に飲まれたから今年は全て背が小さいという。

私がここに来る前に見た水仙も津波を生き延びたのだった。

チューリップと水仙の、
植物が作りだすあの自然な色の
鮮やかなこと
力強いこと
美しいことを
どう表現したらいいのだろう

チューリップの咲く山間の小さな沢は、
気仙沼の外れの本吉の、
その市街からもさらに人里離れた奥にあって、
ただどこまでも続く青空と雲だけが
萌葱色と灰茶色の山肌を
美しく照らし出す


そこの沢で津波が到達した
別の斜面に降りたったとき

眼前には人っけの全くない瓦礫野原が開け
おじいちゃんがお散歩をしていた

おじいちゃんは
奥の山にそびえるお寺に向かう途中だった

一緒に行こうよ

時間が詰まっていなければ、
おじいちゃんと手を繋いで歩いて
お寺に行っていただろう

優先順位をどうにか自分に説き伏せて、
理性と心がバラバラになりながら車に乗り込んだ


いつもの45号線を走る

その側を走り抜ける気仙沼線は
いたる所で線路がはがれ落ち、めくれ上がり、
鉄橋が津波にさらわれ落ちている

馬籠川の小泉大橋は、
いまだに45号線を分断して
私達は大きく迂回路をとって気仙沼市を走り抜け、
登米の本部から南三陸町、石巻市まで
毎日毎日、車を走らせる

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