登米!etc

以前はガーナで生活していたこともあり、
JICAやJOCV関係の知り合い、
在ガ邦人&海外、途上国の開発関係者、
そして
前の会社の同僚・先輩方、
(み、皆様、お元気でしょうか???)
学校の友達、地元横浜のご近所の皆様、
MAMYのバレーボール仲間の皆様 etc に
読んで頂いていたこのブログ。

いつもいつも、ありがとうございます。
ショコラは日本でもふわふわ自由に飛んでおりますが
(現在の主な生息地:宮城、横浜、温泉)
こうして元気に生きております。

でもここ1、2ヶ月はブログ村からいらっしゃる方も多いですね
(ガーナ生活終わってから海外ブログ村に登録してみた…遅!)
訪ねてくださりありがとうございます♡
きっとまた海外、アフリカor途上国に出ますんで、
これからもどうぞヨロピコです♥

そして不思議な個人的ご縁でこのブログに繋がっている皆様、
ありがとーございます☆
これからもどーか温かく見守ってちょ!w

そしてそして、ちょー最近、てゆーかたった今しがた?
読んでくださってTweetしてくださったのが、
東北での災害ボランティア仲間。
ありがとー!!!
嬉しいよーん!
そんなに褒められたら調子乗っちゃうぞ♡
実はブログ以外のジャンルを最近書き始めてます
頑張るぞ♬

ご縁あってこのブログを読んでくださった
皆様に「ありがとう」をご挨拶して、
第一弾・災害ボラ日記を
締めくくりたいと思いまーす。

四月後半は宮城県登米市の
ある廃校の体育館で二週間暮らしてました。
全てが貴重な経験でした。
でもそうだと振り返り、過去をかろうじて認識し始めたのは翌月、
二回目に被災地入りして再び災害ボランティア活動を始めてからでした。

そう、まさに怒涛の日々だった。



手前のテント群&二階の観覧席で
みんな寝袋に包まって寝ています。
ほんっとーーーーーーに、
寒かったーーーーー!!!!!

今とは生活スペースと支援物資の管理スペースの
レイアウトがだいぶ違いますね。
被災地での災害ボランティア、
こんな所で生活して、活動しています。


体育館によくついている、出入り口付近のロッカールームのような
一室が、ショコラがずーっと缶詰になっていたデリバリー室。
地図、配達記録、報告書、各種資料に埋もれて
あっちの資料をひっくり返しては
こっちの地図を広げ、
みんなであーでもない、こーでもないと話こんで。
昼は車内で過ごし瓦礫景色の45号と登米の山道を走りぬけ、
体育館に帰ってくると夜はストーブ焚いてベンチコートにくるまって、
ほとんどの時間をこの部屋で過ごしていました。


この時のデリバリーメンバー&協力隊メンバーと。

4月末にはやっと上着なしでいられるようになりました、
冷え&肩こりともオサラバ!
・・・のはずが、相成らず。泣
これからしばらく悩まされることになるのでした。トホホ。

手前の白髪テンガローは、「タオル人形作家」おいちゃん


4月後半のある日。
みんなでリサーチに出かけて登米と志津川、歌津を回る。

肌寒さが徐々に解けて、
桜の固かったつぼみ達も一斉に緩み始めてきたとき。

現場は日々刻々と変化していく。
震災から一ヶ月経った頃、
毎日毎日変わっていく被災地の様子に
今まで行ってきた緊急支援のデリバリーシステムが合わなくなってきた。

大局的に観ればそれは大方の想定内では
あるのだろうけれど、
じゃぁ現場でどうしたらいいのかは
誰も教えてくれない。

どう声をかけたらいいのか

どう判断すればいいのか

どう付き合っていくのか

どこまで何をするのか

その基準は?

行政はどこまで機能しているんだろうか
他の団体はどう考えどんな活動を展開しているんだろうか

配達を一日ストップして、コアメンバーみんなで一緒に外出
なんてことは今まで唯の一度もしたことがなくって。
でも期待以上の効果があった。

情報共有と、情報収集。

「需給のバランスを取る」なんてことは
神の見えざる手にでも引かれないと、ほぼ為し得ない業でして。

当時数百人の被災避難民を収容する避難所を抱え、
一日千食以上の炊き出しを行い、
南三陸町への支援物資を保管管理していた要塞、
志津川ベイサイドアリーナを訪ねた。

宮城県南三陸町社会福祉協議会
南三陸町災害ボランティアセンター
で働くボランティアの方と意見を交わした。

お会いした方はとても有能な方で、
インフラ復旧状況や込み入った地域事情もよく把握しておられた。

途方もない現実に立ち向かい、
ひとつひとつ互いに出来ることを埋めていく
地道な作業。

いつ終わるとも先の見えないトンネルを
手探りでひた進む。
でも何事も有限であるこの世ならば
いつか終わりはやってくるわけで。

明日もまた違う日が待っている現場では
一ヵ月後がどうなるかなんて考える暇もなく
私たちは「今」に対応する。

この日出会ったもうひとつの団体は
OGAという国際教育を行う学校法人による
宮城県三陸海岸で活動する災害支援団体。

何が衝撃的だったって、
お会いしたスタッフや代表は
英語のほうが流暢な日本人ハーフの方々。
支援物資の調達・配達の管理から、
精神的ケア、自立促進指導、雇用問題を含めた包括的な地域復興を
5年、10年スパンで見据え、戦略的に企画実行していたこと。

私たちRQはもともと緊急災害支援団体で、
阪神淡路大震災の活動家、全国の野外教育関連団体、
国際防災機関などが終結した烏合の衆。
当時は三ヶ月間という期間限定の
緊急支援を前提に行っていただけに、
デリバリーはその最前線に立たっていただけに、
全く違うシステムで全く違うアプローチで
目的を遂行していく国際的な民間団体の存在は
とても印象的だった。

とてもロジカルに現地に切り込み
合理的な支援を実現しようとするその姿は、
まるで途上国で見た開発プロジェクトのようだった。
災害プロジェクトも、そういうもんなのかな?

他にも避難所で炊き出しを行う支援団体、
部落に住み込んでガチで復興支援を地元民と行う団体、
街角のファミリーマートで屋台を開く大人気のラーメン屋さん!
などなど。
同じ気仙沼や南三陸にもいろんな民間団体が活動している。

RQとしてもいろんな活動団体や支援団体との連携を、
そしてデリバリー最前線でも現場のいろんな団体と、
それぞれの得意分野や可能な活動で
有機的に繋がって行きたいと考えている。

インフラ機能が復興していき
小型避難所への避難移動、
仮設住宅の建設、入居が進み
都度新たな課題が浮上する中、
行政の動きを追いながら被災地の変化を肌で感じながら
必要に応じて関係機関と接触し
被災者に必要な支援や情報を提供する
お手伝いが出来れば。

情報共有は一番大事で、
もういろんな、優秀でタフで、経験豊富で、鋭いボランティアさん達と
一緒に働くことはとても刺激的で、
その日一日をこなすのに精一杯なショコラは
高速書記と記録係と笑顔と愛想しか能がなくてw

でも私達現場の活動自体、
さまざまな後方支援のボランティアさん達によって支えられている。
外部団体を快く受け入れてくださる地元登米の皆様。
東京本部で東北の活動を支えてくださる皆様。
そして全国からRQの活動を応援し、
支援物資を提供してくださる皆様。

被災者の表情が一番和らぎ、ほころぶ瞬間。
それは本当に必要とされているお水や食料、お布団、日用品、
野菜やお菓子なんかもそうだけど、
もしかしたら支援物資と一緒に届けられた
支援者の手書きのお手紙やイラストを
手にした瞬間かもしれない。

顔も名前も知らない誰かが、
自分のことを想ってくれている。
それが届いたとき、本当の意味で
「届け屋」の甲斐が果たせるのかもしれない。


最近顔をめっきり出していなかった
おじいちゃんちに、みんなでご挨拶にいく。

まだ蕾が固いのは、違う種類の桜だろうか。

新緑が萌える高台から見渡す入り江には、
晴れ渡る空の色と同じくらい淡く青い海が眼下に広がる。

でも岸辺の淡く明るい水色の海は、
津波でひっくり返された跡の変色で、
岬の岸辺には船や漁具が打ち上げられ、
瓦礫や鉄筋、流された屋根やプラスチックゴミが
陸地と海の境界線を埋める。

リサーチ翌日に歌津中学校で行われたのは
こども元気村!
唐桑でお手伝いしたドラム缶ピザが懐かしくって
ショコラも着いて早々お手伝い

この日突然届けられた支援物資
ベーコン2t
(!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
を地区に配達する途中で立ち寄った。
とってもおいしい高級ベーコンに皆舌鼓を打ち、
被災者の皆様はとても喜んでおられました。
野菜やお肉などの生ものは、
被災地では貴重ですので、大変喜ばれます。

が、はっきし言って。

前日夜にいきなり「ベーコン2t来ます」
って、いきなり言われても!!!!!
はっきり言ってこの日私達は完全キャパオーバーで死んだ。
が、まあ柔軟なRQである。
そこは、臨機応変に対応し、
今後こういった大型支援物資にも対応すべく
デリバリーはシステムを構築していったのであった。

だって、翌月RQに戻ったときにも
再びベーコン2tをご支援いただき(!)
今度はより計画的に配送することが出来ましたが

もう一生忘れられない、ベーコン事件!


(私事で大変恐縮ですが、
私事を書き連ねる個人ブログですから書かせて頂きます。
ある部落でのこと、
食べきれない量の獣肉を高齢者の漁村に落とすくらいなら
育ち盛りの青少年にあげたかった、私は。
眼前で繰り広げられたその光景に、
アフリカ帰りの私にはとても衝撃的で言葉を失った。
でもこの感覚は万人に共通するものではないらしく、
その場ではどうやら私の方が変人だった。
援助の不平等を体現するのがボランティア、
だからといって個人の思い入れと価値観と判断基準で
被災者に届く支援が決まってしまうなんて、
そんな理不尽な話はないわけで、
だから私達現場の人間は常にギリギリのところで
平衡感覚を保ち、援助の活路を綱わたっている。)


歌津中学校は最近チャリティイベントが目白押しで、
この日は楽天イーグルスの皆様と
ジャニーズの亀梨和也さんが慰問されてました。

でもこの翌日、まさか天皇皇后両陛下がおみえになるとは!!!

一体誰が予想したでしょう、歌津!


韮の浜のアイドル、セナ。

いつも私達が顔を出すのを待っていてくれる
おんちゃん、おばちゃん達にご挨拶に伺い
しばしセナと戯れる。

元気でよかった☆


お届けのついでに「寄ってけっちゃ!」と言われ
お庭の丸太に座り、ベニア板のテーブルで浅漬けを頂く。

ひんやりした風が肌に気持ちいい
春の終わり、初夏の訪れ。

浜の先を下っていくと、
津波に浚われ道は途中で終わっている。

そんなこと関係なく空は晴れて、
風は吹き、胡瓜と蕪はおいしく漬かっている。


四月後半、私が来たときはすでに
営業を再開していたガソリンスタンド。

周辺の家屋や施設は流れ、
自衛隊により幹線道路が舗装され始め
なんとか主要交通路が機能していたとき。

瓦礫の山の機動力は車両しかなく
ガソリン供給が本当に死活を決める。

車窓から見える道端の手作り看板。
給油場所が決まっている私達は
ここに立ち寄る機会は今はもうなかななかないけど、
通行者や通行車両を勇気付ける
言葉にもカタチにもならない応援メッセージが、
そこにはある。


この橋を渡って右折するとき、
かならずある光景。


4月のボランティア活動最終日に出会った、
心に焼き付いて離れない記憶。

小泉中学校の「ひまわりサロン」を訪れた
プロのミュージシャンが慰問で演奏した、
「ふるさと」の美しい調べ、
懐かしい西アフリカの打楽器、
聞き入るお年寄り達、
サロンで戯れる子ども達、
避難所に指定された高台の学校、
ひまわりサロンの裏から見下ろす
瓦礫と化した小泉の町並み。

今はRQ河北のボランティアセンターで活動する
仁くんとデリバリーで一日一緒動いて、
その帰り道に寄ったあの時、あの場所で見た
小泉の光景と故郷の調べが、
心に記憶され、
その残像がいつまでの脳裏に蘇り
離れることがない。
登米から気仙沼、南三陸を駆け抜けた
震災一ヶ月経った被災地。

本当に大半の記憶と思いは言葉になる前に、
ただただ日々を、目の前のやるべきことをこなすうち
水の泡沫のように現れては消え、
そうして日々は回り、
人の営みは耐えることなく、
万事が流転していく。

流れ消え行くまえに、どうにか人に伝えようとみな足掻く。
大半はメディアにより切り取られた現実が
フィルターをいくつか経て情報として世に流れる。

日本というあらゆる情報が洪水のごとく氾濫する
大海原の渦の中で溺れ
朦朧とした意識で想うのは、
日本の野山の自然の美しさ、繊細さ、
触れ合う田舎の人々の心の温かさ、
ただ、そういう感覚だけが身体に残っている。

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