首都アクラに戻るの巻。

日本大使館に署名証明を取りに行くという、普通の隊員生活ではあり得ない用事が出来て急遽首都アクラに戻ることになった。これ以上目立ってJICAスタッフに目ぇ付けられたくないのに…
スンヤニ・アクラ間の直行バスは早朝出発で、自宅チラからだと朝のヒッチハイクがキツイ。なので今回はトロトロという乗合バスを乗り継いで行くことにした。
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最近、物価上昇が著しい。石油燃料の高騰からタクシー・トロトロ・長距離バス、全交通機関運賃が値上がりした。運悪くストライキに見舞われバスステーションで待ちぼうけ。ツイテナイ。
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やっと来たトロトロに駆け込み、空いてた助手席に乗り込む。安心したのもつかの間、バックパックを取られ荷台に持ってかれる。「そんなの頼んでない!追加料金いるの?自分で持てるってば!どこに持ってたの!この目で確認させて!!」助手席は二人掛け。窓際に座る隣の兄ちゃんに舌打ちされながら車を降りて、荷台を確認。仏頂面の兄ちゃんを無視して、隣のドライバーや後ろの乗客と現地語で会話して和んだ。
ナナとはそんな最悪の出会いだった。あとで聞いたら「俺のこと信用しなかっただろ、荷物は大丈夫って言ったのに」と言われた。そんなこと言われたことすら覚えてないし、そもそも私は初めて会った他人を信用するような人間ではない。
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ナナは綺麗な英語を話す作家志望の若者だった。それもそのはず、ガーナ大学(日本でいう東大)を卒業して今はナショナル・サービス(雇用待機期間として卒業後一年間、学校や役所で働くこと)として社会保険庁で働いていた。「保険入っといたほうがいいよ。月々○セディから…」「あ、ありがとう。私は日本政府ボランティアで来てるから大丈夫なの」「あ、そうなの」まさか乗合バスでガーナ人に保険の勧誘されるとは思わなかった。
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その他にも日本のこと、ガーナのこと、お互いのこと、色んなことをいっぱい話した。小さなバンに20人近く詰め込んで猛スピードで走るトロトロの揺れと騒音は半端ない。ナナにちょっと婉曲な言い回しや小難しい説明をされると、もう聞き取れない。どこまで分かり合えたか分からないけど、クマシの実家に帰る途中のナナに終着点の前で言われた。「うち寄ってく?そしたら乗り換えのバスステーションまで案内するよ」クマシは危ないし街がゴミゴミしてて人もキツイと聞いてたから、正直乗換が不安だった。出会ったばかりのこの兄ちゃんを信用していいものか?でもクマシの街を、しかもガーナ人の家庭を見れる滅多にないチャンスかも… 好奇心が勝った。こーゆー一期一会こそ旅の醍醐味だし!いや、旅行者ではないんだけれども。
クマシ手前で降りた街は大きい家が並ぶ見晴らしのいい街だった。クマシにもこんないい所があるんだなぁ、見ると聞くとじゃ大違い。ナナの家族は突然のオブロニガールの訪問に目が点、しかも片言のチュイ語を操る怪しさに握手も忘れ呆然としているようだった。庭と景色を見渡せる気持のいいポーチに座らせてもらいゆっくりしてると、お昼ご飯が出てきた。あ、ありがたい…そして美味しい…訪問者や外部者に対して、ガーナは気さくにもてなしてくれる。
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ここで助かったのは、チラでホームステイしていたこと。ホームステイしていてガーナ人がどんな風に暮らして、どんな生活をしているか知っているから、ご飯がどんな風に調理され、どんな風に食べるかも知っていた。「アンペシェ」は茹でた芋類とシチューを一緒に食べる一般的なガーナ食。不思議なことに、フォークや箸を使うより手で食べるのが一番おいしい。あとガーナ人が水不足を嘆きつつ一日何回もシャワーを浴びる習慣があるのを知っていたので、街に出るためだけにシャワーを浴びると言うナナに全く疑問を抱かなかった。
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「メダーセパー!(ありがとうございましたー!)」大声で手を振ってお礼をいい、おうちを後にした。

アクラ行きのバス・ステーションまでタクシーで向かう道中、ナナがクマシの街の説明をしてくれた。現地人の友達って、本当にありがたいなー。そしてガーナ①タチの悪いクマシの客引きドライバーを涼しい顔でかわし(かわすどころか50セディ札という滅多に見ない換金率の悪い札をシレっと出して悪名高いクマシ・ドライバーに両替させてた。コイツ一体何者?)バスまで安全に送り届けてくれた。お互い職場はスンヤニ、「また会おうね」といってナナと別れた。


新しい友達もできた、楽しいクマシ遠足だった。

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