人生のカラクリ2

二月中旬にドイツ人の先生から、ブログにメールが届いた。


「私たちの地区に、あるガーナ人が住んでいます。彼は故郷のチラにスクールバスを送ろうとしています。私は生徒とチャリティ・イベントを学校で開いて、彼のプロジェクトを応援しています。shokolaの住むチラはどんなところですか?子供たちはどんな暮らしをしているのでしょう?チラの生徒や先生たちと連絡が取れたら嬉しいです。」

イスラム系哲学者からわけのわからん書き込みをされた直後だったので(しかも同居人ナオミと「ソフィーの手紙」を読み進めている最中に)ふたりで大興奮!チラ出身のガーナ人がドイツに住んでるって?!しかも故郷にバスを送る?!なんでガーナのどこの都市でもなく、私たち日本人ボランティア四人が共生する田舎町チラに!!!その後何回がメールをやりとりしたところ、バスはもう船便でドイツの港を出国したとのことだった。二三カ月かかるってことは、五月くらいかな?楽しみだなー♪独立記念日の三月六日に行われた学校公式行事でチラの小中学校を取材し、ニュースレターをドイツの学校に送ったりして(英語ブログご参照★)わくわくしながら日々を過ごした。
「アンス・イェボアが学校に挨拶に来ました。スクールバスを受け取ってチラに運ぶため、ガーナに向かったそうです。彼の家族はあなた方のことを知っているそうです。アンスと会えるといいですね」

アンスもイェボアも超ローカルなガーナ人名!間違いなく彼は生粋のガーナ人だ!チラは小さな田舎町(といっても私たちの活動先コミュニティよりは何倍も大きい地域の中心)オブロニ外国人は私たちだけ。もうアンスはチラに来てるのかなぁ?いつ会えるんだろー♪

のんきにワクワク待っていたら、その「いつ」は本当にすぐやってきた。赤いバイクで通勤中のナオミが偶然すれ違い、発見されたのだ!そしてその日の夕方みんなで会うことになった。ダンスリハーサルでアクラに上がる前日だった。
このときアンスと一緒にいて赤いバイクを発見したガーナ人こそ、私たちの活動をこの一年間応援して助けてくれたMr.KUMIHだった。森林プロジェクトでコミュニティ・ファシリテーターとして働き、プロジェクト後も私たちボランティアのことを気にかけてくれる世話好きのクミさんは、実はその昔ドイツに住んでいた頃、移り住んだばかりのアンスのことも色々と面倒をみていたのだ!

なんなの、この偶然の嵐?クミさんが昔から世話好きだったとか、アンスがチラ出身だったとか、スンヤニに森林プロジェクトが入って、その後任でボランティアが来たとか、その存在をドイツ人が探し当てるとか

アンスとの待ち合わせ場所はスンヤニ①の高級ホテル・ユースベットのロビー。GUINESS社がアフリカで販売するMoltaを使った炭酸飲料水ALVAROをちゅーちゅー飲みながら、アクラでの一年報告会の疲れが抜けず微熱混じりのダルイ身体と頭を振りしぼり考えた。様々な思いが錯綜する。遅れてやってきたナオミも「アンスに会っちゃったよ!」と興奮気味。
そしてついにアンスがやってきた。ガーナ人らしくない長いラスター(髪の編みこみ)と小奇麗でオシャレな洋服、明るく優しい笑顔、はつらつとしたオーラ、まるで歌手のような雰囲気に呑まれた。ドイツに移り住んで二十五年の彼はまるで年齢を感じさせない若々しいエネルギーに溢れていて、夢と理想をあつく胸に秘めていた。彼は持ってきた資料を広げ、自分が一体何者で、今何が起きているのかを話し始めた。
彼は故郷のチラに里帰りする度に、ドイツで寄付されたボールや服などを持ち帰ってチラの子供に渡していた。子供こそが未来の財産、教育こそが国造りの基礎、それが彼の哲学だった。そしてバス会社で働く彼は会社から大型特殊バスの寄贈を受け、故郷チラの子供にスクールバスを送るプロジェクトを本格的に立ち上げる。たくさんのドイツ人がスクールバッグ、薬、サングラスやメガネ、PCなどを支援し、その様子はドイツ・メディアにも取り上げられ話題になっていった。子供たちにバスの乗車規律や慣習をしつける教育者として学校巡回をし、またガーナの伝統文化を普及するアンスを、ドイツ人の学校関係者も応援した。先生たちはアフリカの政治や文化など様々なトピックを取り上げるアフリカン・ウィークを始め、自分たちに何ができるかを考えた生徒がチャリティイベントを学校で開き、保護者など地域関係者を巻き込んでプロジェクトを支援する募金活動を展開した。ひとりのドイツ在住ガーナ人の思いつきと行動をドイツ国民が支えたこのスクールバスは、満を持してドイツを出国して大洋を航海し、ガーナの玄関口テマの港にたどり着いた。
そして彼の友人の先生が、ある日バスの行方をネットで探してみた。Chiraaはガーナの地方の小さな田舎町、Google Mapに載ってるはずもない。アフリカの情報はたぶんにして外界から遮断されている。彼女はなんの情報も得ることができなかった。そう、このブログ以外は。ろくにアップもしていないアジア人のお粗末英語ブログにコンタクトをくれたビアトリクスこそが、まだ見ぬアンスとshokolaたちの掛け橋となり、日本を通じてドイツとガーナを繋げてくれたのだ。
It’s more than miracle, I don’t have a word to describe this.
なんて言ったらいいか分からないけど、これって奇跡だよ。

言葉を失うアンスとナオミとshokola

突然きらきらと天使のように空から舞い降りてきて、いろんな偶然を引き起こしいっぺんに奇跡を体現したような、夢見るおっさんガーナ人・アンスは、shokolaにとってもうひとつの大切なことを教えてくれた人生のメッセンジャーだった。

Shokolaたちが日舞を踊るはずだったSarkodieの曲は、”BORGA”という不法海外移民を訴えるキャンペーンソングだったのだ。コーサはオファーをくれたとき、歌詞の内容やコンセプトを電話口で一生懸命説明してくれたけど、アクラとスンヤニじゃ電波悪くてホントよく途切れるし、背景や文脈を知らない難解な英語はさっぱりお手上げだった。(今も思うしその時も思ったけど、よくこんなshokolaにそんな大仕事を振ったもんだ)スンヤニでいつも行くネットカフェの兄ちゃん達はガーナ最新音楽の情報源、事情を話してPVをもらい全チュイ語のラップをとりあえずサビから教えてもらった。

「BORAGA, BORAG, 3NA 3Y33 D3N? -Borga, Borga, so what? 」

みんなお金が欲しくて海外に移民するけど、
皿洗いとか道掃除とかつまんない仕事して、
国に帰ったら偉そうに歩いてるけど、だからなんなのさ?

この若いアーティスト、一番好きなのはラブソング「Babe」だけど、こんな社会的なメッセージ性の強いこと言ってるんだ。へぇ、普通の歌手とは一味違う?ちょっと感心。でもどうしてBORGA?一体なんでこの曲を書いたんだろう?このときまだおぼろげだった歌のイメージにはっきりとした輪郭を与えてくれたのが、アンスの会話だった。

「このチラからドイツやフランスに渡って海外で働いていい暮らしをして、一体どれだけの人がチラの子供に何かしてあげた?不法に国境を越えて命を落とす人もいるし、都市で働きスラム街でアルコール中毒や麻薬に手を染め、道を外れて行く人も大勢いる。つまらない仕事を斡旋する不法移民ブローカーもガーナにはたくさんいる。そうして海外に渡り、職とお金と不自由ない生活を手にいれ、みんな故郷に置いてきた家族や子供のことを忘れていく。」

あぁ、Sarkodieが歌っているのはこういった理不尽さだったんだ。
まったく違うふたつの物語が、奇妙な運命に手繰られ交錯した瞬間だった。
アンスは続ける。

「ガーナにも悪しき慣習や排すべき精神はある。現にこの寄付されたバスは、個人的なプロジェクトで動いてるから莫大な税金を課せられて、今もテマの港の税関で止められている。それは仕方のないことだけど、このガーナでは何をするにも色んなところでお金が必要で、それは誰かのポケットマネーに消えていく。でもこれはドイツ人の善意に支えられたガーナの子供のためのプロジェクトだよ?子供はその国の未来への財産、そして教育こそが国を豊かにし、発展をもたらす基礎なんだよ」

スクールバスがテマの港のすぐそこまで来ている。コーサ達の本拠地、あのテマに。

そしてその翌朝、shokolaはダンスリハーサルのためにアクラ行きの大型バスに乗っていた。早送りのバスの景色は、まるでなにかもの凄い大きな引力に突き動かされてアクラに送られているようだった。テマの港は眼と鼻の先である。

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