異文化交流2 ー酒盛り、その弐ー

その土地、その土地には古くから伝わるしきたりがある。
そして住む人間が持ち込んだ慣習がある。


スンヤニの僻地、森の住人アフラス村の人たちは北から農業をしに移民してきた。


毎週金曜日はお祈りの日。畑に行かない、働かないお休みの日。


…とか言いつつ、ムスリムならともかく、土地のタブーデーには森や畑に入らないとか言って、みんなその日のご飯になる芋や野菜を取りに結構畑に行く。田舎は何事も緩い。
そう、何事も緩く、地酒飲んだり、タバコ吹かしながら畑行く光景もなんら日常の風景である。


サンバを怒らせて逃げるように帰って来たその翌週は、会議でガーナ第二の首都クマシに行っていた。


金曜のタブーデーなのに村に来ない、心配したアジャラから電話がかかってきた。
「ヤー、元気かい?今度いつ村にくるんだい、みんな待ってるよ」


みんな待っててくれてると思うと心強かったけど、どう仲直りしよう、なんて言えばいいんだろう。よそモンが村に一人で入っていく村落開発、ひとたび関係がこじれると完全AWAYである。SHOKOLAだってお酒飲むのに。口は災いの元である。ほんと、どうしよう。


丸の内OL時代のオフィスにて。
とてもお世話になった先輩方と。
上司に恵まれ3人で行内の賞を受賞したときの、
一番好きな写真

そのとき、銀行時代の会社の先輩を思い出した。
一見イケメン・チャラ男のその先輩とは、確か西麻布のパーティで知り合った。
青学時代の親友サチの知り合いで、主催者のひとりだった。


いっつもキラキラしてるサチとは、学部学科がずーっと一緒だった☆
国際政治学とか、学校イチ超〜地味なインテリ学科で、派手なふたりは浮いていた…
ちひとりんこと、4人でいつもきゃぁきゃぁしてた懐かしいキャンパス時代。
(嗚呼懐古。青山・渋谷のキャンパスからオフィスのある丸の内・銀座に行動範囲が移っても、ずーっと一緒に遊んでたサチ!確かあの夜もイベントもそこそこに国際政治から恋愛論までぶっちゃけガールズトークを西麻布交差点のアジア料理屋さん(名前忘れた)でぶっ通し語ったわ〜


同じグループ会社の証券マンだったその先輩、なんと社内メールで「アフリカ行きます」を送った返信でわかった「実は俺も海外ボランティア経験があって」


えーーー!!!!!衝撃的である!!!
だって、あのイケメン・チャラ男・証券マンのイケイケな先輩である!
サチも知らなかった衝撃の事実である!
MY LOVE N RESPECT♥PAPPY
帰ったらお線香挙げて、手を合わせて、お水あげて、お供えして、お墓参りして、PAPPYとMAMYが一緒にヨーロッパ旅行したラブラブ写真を眺めて、ガーナでの二年間を報告して、PAPPYのことゆっくり思い出して… でもそしたらまたどっか高飛びするかも(笑)ごめんなさい日本でちゃんと孝行できず!でもお空の上からいつもいつも見守っていてください☆


2009年12月末日の退行日、職場のみなさまに頂いた抱えきれない花束。
人生でもうこんなに花束を送られる日はないんじゃないかっていう一生分の花に囲まれた日。にっちもさっちも行かない終電の渋谷駅乗り換えを手伝ってくれたのは彼だった。


ふたりで話こんだ冬のファミレス、彼は学生時代にネパールに日本語教師としてボランティアに行ったことを話してくれた。面影はあるけど今よりもやんちゃそうな写真、そしてそのときのことをついこの間の出来事かのように楽しそうに喋る先輩を見て、今でもその思い出と記憶が彼のなかで色あ褪せずに輝いているのだと伝えた。


「現地の人と打ち明けるには、酒盛りが一番だよ」


そう言って、彼は陶器に入ったなんとも味のある薩摩焼酎をお餞別にくれた。
私と同い年の、薩摩美人ちゃんだった。


ガーナに来て一年半、薩摩美人ちゃんは眠りに眠っていた。
だってーーー!ガーナ人て、妙に敬虔なクリスチャンぶって外面はお酒飲みません!タバコ吸いません!不倫も浮気も神様が許しませんっ!て、したり顔するんだもーーーん!
(実際は大嘘である。不倫天国ガーナ!)


ああ、そうじゃん。私にはトシがくれた薩摩美人ちゃんがいるじゃん。


お酒、サンバと飲んで、仲直り、できるかな。
いつもよくしてくれてるオーガスティンとも飲みたいな。
調子のいいルンバも一緒に、アフラス村のみんなと一緒に、私の國のお酒を一緒に飲みたいな。


「ごめん、今日帰らないかも」
心配をかけるといけないからシスター・ナオミに一言いって家を出た。
アフラスはバイクでオフロードを30分走った先にある。
ガーナにはちょっと前に、コミュニティでお祝いでお酒を飲み、その帰りに事故って生死の境を彷徨った先輩隊員がいた。だって、いつも通ってるコミュニティで、いつも一緒に頑張ってるみんなと飲む酒だよ、うまいに決まってんじゃん。飲みたいに決まってんじゃん。
前科者のSHOKOLAは飲酒運転だけは絶対したくなかったので、コミュニティに泊まり込む覚悟でアフラスに向かった。


仲直り、ちゃんと出来るかな。緊張しながらいつものオフロードをひた走った。


アフラスに着くと、いつも調子のいいルンバの家で、男衆がカードゲームに興じていた。
そのお向かいの家でいつも石鹸を作っている。活動の中心メンバーの元気なフロミナはその時はいなかった。その長男息子が、学校を中退したレイモンドである。夫のオーガスティンがいつものベンチで寝そべっていた。


「オーガスティン。フージマー(北の言葉でこんばんわ)」
「ヤー!」私の現地語のニックネームを呼ぶと体を起こし、「フージマーエー」と挨拶のお返しをくれた。
「フトマーベソン?」(仕事どうだった?)「ンベーソン」(ぼちぼち)
「アビエソン」(元気だった?)「エー」(元気だよ)
「エレジェンエ」(調子はどう?)「エー」(うん、いいよ)


こうした挨拶の決まり文句がある。受け答えは誰と会っても同じことを、丁寧に訊き、丁寧に応える。時間に追われてすっ飛ばすとか、絶対にない。「旦那は元気?」「子供達もみんな元気?」ひとりずつ、ちゃんと気にかけてくれるのだ。


だからSHOKOKAも毎回聞かれる。
北の言葉の簡単な挨拶が終わると、今度はチュイ語でいろいろと込んだ挨拶に入る。
「国のMAMYや弟くんたちは元気?」
「うん!みんな元気に働いてるよー」
「シスターナオミはどうしてる?ヤオメヌは畑に行った?コフィコバの足の具合はどう?」
「うん、ありがとう。みんな元気だよ、コフィお兄ちゃん帰って来たの!凄い嬉しい!」


一通りの挨拶が終わって、オーガスティンに切り出した。「あのね」
「これ、私の国の地酒(メクロム ンサ)なの。日本で友達がくれた。
サンバが来てくれて、一緒に飲んでくれたら、私とっても嬉しいな。
(セ サンバ オベバ べ ノム ンサ、メニアジ パパパ)
アフラス村のみんなと、一緒に飲みたい!」
(アフラス フオノ、モンミナー モンブラ!ナ、イェベノム メクロムンサ ワイ!)


「ヨー、マテ(分かった)」
それだけ短く、優しく言うと、オーガスティンは男衆の輪に入って、こっちに座れと私を呼んだ。ルンバやみんなに説明する間もなく、畑仕事から帰って来たサンバが通り過ぎた。


オーガスティンが神妙な顔をしてサンバを呼び止めた。


うおーーーー!!!!!サンバが目の前に来た!はっきし言って、軽くトラウマである!現地の長老のおっさんの一人に、村でめっさブチ切れられたのである!ガーナ人なら村八分状態である!ちょっとビビります!コーワーイーーー!お互い微妙な空気が流れ、オーガスティンが北の言葉で厳かに話し始めた。いつも優しいオーガスティンだけど、この時はちょっと厳しい眼差しで、威厳を込めて、年寄りのサンバを説いた。


アフラスに行く前に他のコミュニティでアフラスのことを散々愚痴り、相談に乗ってもらい
「謝るのってなんていうの?」「ファチャメかな、FORGIVR ME」
習ったチュイ語は話す必要がなかった。


「あの時、俺には悪魔が取り付いていた。あれは俺の言葉じゃなかった。
日本人の読者の皆様、もしかして今ちょっとずっこけた?
でもコレ、ガーナでは自分の非を認めたことになる。かな?
元々、ガーナ人はあんまし普段から謝ったりしない。その辺は流して、「え、なんのこと?」そんな顔していつも通りに戻る、受け入れる、寛容の精神がある。
いやー実際はそんな綺麗事ばかりじゃないですよ、基本みんなガメツいし。


でもあのときの私には、この言葉で十分だった。


もう後は酒盛りである!


彼らの地酒ピトーは、ミレットという穀物を使った薄い水のような酒で、朝から老若男女が水のように飲む。ンサフフオも同じくらい薄い酒でパームワインと呼ばれる。パームの幹から汁をタップするのだが、さらにそれを蒸留してアペテシエというキッツ〜い地酒を作る。そしてガーナでは袋に詰められた携帯ジン、携帯ウォッカ、携帯ラム酒が巷に溢れている。


でも、この薩摩美人ちゃんの繊細さには誰も叶わない!!!!
SHOKOLAだって楽しみたいのに、みんな我先にとコップ回して飲み干していく。
「どう???」「う〜、まぁまぁかな…」
そんな感想ならSHOKOLAが飲むから別にいいしー!でもあれよあれよとみんなに飲まれて、薩摩美人ちゃんはあっという間に空になり、SHOKOLAは結局ちんまいカップ一杯分しか飲めなかった…くすん(泣)一年半ぶりの國の酒ですよ!大好きな芋焼酎だよ!もっと味わって飲みたかった〜!


ピトーもジンも飲みほし気持ちよくなり、あ、と思い出した。タバコの大好きな彼ら。ガーナのタバコは強すぎてもう吸わなくなっていたので、カートンごとみんなに振る舞った。一本20ペソワで買っていく世界ですから、もう大判振る舞いである。


あー、とりあえず持って来たもん全て渡したし、任務終了かな。


トシ、本当にありがとう。


その夕方、メンバーの家を挨拶して歩き回り、
「ヤー、うちにおいで!うちに泊まりな!」
「ヤー、うちに来るでしょ、荷物置いていきなさい!」
各家で嬉しいお呼びが掛かったが、取り合い合戦を制したのは仲直りをした当のサンバ本人だった。


サンバはSHOKOLAのために鶏を用意し、ご馳走をもてなしてくれた。
息子のヤオがさばいてくれた。
茹でて、羽をむしって、内蔵を取り出して、じっくり炭火で焼いて、
全ての行程をこんなに間近で見たのは初めてだった。
不思議と血を見て気持ち悪いとかそういうのはなかった。
(暗かったせいかな…知らない間に捌き始めてたし。笑)
自分のためにわざわざ一羽用意してくれて、
さばいてくれて、むしろ有り難くて感謝の気持ちでいっぱいだった。


奥さんのフォスティが作ってくれたペペの効いたトマトスープは、
とってもおいしくて皿ごと飲み干した。
みんな食事は夕方に済ませていたのに、魚入り、鶏入りのご馳走を私一人のためにわざわざ用意してもてなしてくれたのだった。


はー、お腹いっぱい…ありがとう!
満腹で気持ちよくなってるころ、フロミナやアジャラが挨拶にきた。
そしてそのまま庭に座り込み、フォスティと3人、石鹸作りメンバーが集まり井戸端会議が始まった。電気も水道もない森の奥の村、炭の残り火が時たま顔を照らすだけで、あとは優しい月明かりが灯り、闇の中を蛍の光がちらちらと舞うだけの、静かな闇夜である…が、どこの世も女は強い!おばさん3人が集まり、喋るわ喋る!ノンストップである!怒ったかのような怒声が響いた直後にケタタマしい笑い声がつんざき、仕舞いには歌い出した。でも会話はとりとめもない日常のことで、(北の言葉だからよく分かんないけど)どこそこの誰が何した、あれした、えぇそれはヒドイ!でしょー全くもうどうなってんのよ、てな具合で。でもきっと村の一大ニュースで、それが彼らの生活の大半を占める大切な情報で、そういった情報交換の場なんだろうな。歌は、美輪明宏の「ヨイトマケ」を思い出すような、女達が畑仕事や家事を頑張っている歌だった。「エジュマ エジュマ エジュマ〜 エジュマ エイェイイェ〜」(仕事、仕事、仕事〜…たくさんあって、でも朝早く起きて、とうもろこしを穫って…)そんな歌だった。


家の主のサンバはジンとピトーを煽り、気持ち良さそうに外のベンチで眠りこけている。
か、風邪引かないのか、大丈夫か??
「男ってのはだらしない、すぐ寝ちゃって!朝も遅いし。」
世界共通、母強し!!!!!
でもSHOKOLAももう眠い、切り株に腰を掛けて船をこぎ始めていた。
「みんないつもこんなに起きてるの?」
私がいるから特別かなと思った。
「いつもはもっと遅くまで喋ってるわよー!1時とかまで!アハハ。そして朝は五時くらいには掃き掃除してるわね」
強!!!…脱帽です、このお母ちゃん達、家事以外にも畑仕事をこなし、麓に降りるときは片道一時間半の砂利の山道を歩くのである。頭には市場で売るための農作物を乗っけて(超重い)ご飯作るときは、素手で鍋肌こそいで料理するのである!


「どこの國でも一緒だね、私の母も朝起きてご飯作って洗濯するし。女はみんなワヤッディエ(well done=よくやりました)だよ〜!」


土壁の手作りの家、セメントも使っていて意外と頑丈。外の夜風が肌寒くても、中は結構温かい。部屋の中には木で作ったベッドに厚めの布が掛けてあり、その夜はフォスティと一緒にそこで寝た。
(でもやっぱり案の定、相当虫に食われたけどね!数日は痒かったけど、でもそんなにひどくはなかった…とか言ってるあたり、もう日本生活とは相当感覚ズレてんだろうなぁ…)


翌朝は寒々しく、霧が立ちこめる夜明けから、外を掃く音で目が覚めた。
布にくるまって、ぼーっと座っていると炭を焼きお湯を湧かしてくれた。
体を洗うためである。木とトタンを簡単に組み立てただけの簡易シャワー場、自然の中でひんやりとした空気が気持ちいい。体を洗う石鹸は、もちろんコミュニティで作った石鹸!か、感動…


トイレ(大)のほうは、穴を掘って木を渡した青空公衆トイレがある。森の中に。
みんなに「落ちない?大丈夫?」って心配されるけど、さすがに落ちないって〜!
先進国の人間だけどさー、日本にだってボットン便所とかあるし!


朝もやの中、布にくるまって、またぼーっとして、そのうち朝ご飯を作り始めた。
朝から現地食はけっこう重… かったの、昔は。
でもここ最近は現地食生活を送りすぎてるせいか、コミュニティの家庭料理は自然と食べれてしまうから不思議である。トウモロコシの粉をお湯で溶いて煮詰めてかき混ぜた、ふわふわの「アプレ」は軽いから更に食べやすい。ぱくぱくっとたいらげて、散歩に出掛けた。


村のみんなに挨拶回りである。
「どーだったかー!ちゃんと寝れたか?」
どこのおうちでも朝から笑ってと、大歓迎で迎えてくれた。


よし、目が覚めたしこれからチラに帰ろうかとしたその時。


サンバがなんか言っている。
ヤオがどっかに走っていった。


「手土産は鶏だから」


えーーー!!!!そう、客人には手土産を持たせるのが習慣、昨日頂いた鶏ちゃん、今日も用意するから持って帰っていけと言う。いや、いいし!ごめんなさい!そりゃーご近所さんに言えば捌いてくれるよ、ガーナ人。でも私はコミュニティで食べるご飯が好きなの!みんなと食べるご飯がおいしいの!しかも一人お客さん用だされて別の場所で食べさせられるより、みんなと同じひとつの皿をつつき合うほうがいいの!また来たときに、食べさせてちょ!それまでこの鶏ちゃんは生かしておいて、お願い!


そう言って、またもや逃げるようにバイクにまたがりチラに向かった。
携帯電話も通じない山奥のオフロードを、上りかけた太陽の日差しに温かく包まれながら走る。いつもの道、だけどこの時の帰り道はとても気持ちがよかった。

コメント

匿名 さんのコメント…
あー俺も焼酎呑みたかったなぁ。
匿名 さんのコメント…
チャミスル ジュセヨ
Unknown さんの投稿…
トシー???
えー?!わー!
ありがとう!!!

おいしかったよ!
私カップ一杯しか飲めなかったけど!

本当に本当に、ありがとう!

よいお年をー♥

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