超絶音楽人KEN

9月10月11月
一カ所に留まっているから。そんな単純な理由でしょうか?
アフリカからのお客様を迎える機会が多いこと多いこと。
そして色んな角度からアフリカに携わる日本人に出会うこと。
当たり前ですけどアフリカに携わるのはJICAや大使館や国連だけじゃないんです。
現地にいると、圧倒的に多いのはこの三つのファクターです。
もちろんいらっしゃいますよ、移住して住んでらっしゃる方も。
まーでも、圧倒的に民間で行く方は少ないです。
ナイロビやヨハネスでもない限り。

でもアフリカを国際協力の視点からしか見ないのも、片寄ってて面白くない。
だって一番面白いのは文化だもん。
そこの人間と、そこの空気でしか生まれない、隔てているものを繋げる有機の存在。
人の繋がりと、文化の交流って、政治や経済の流れを変えうる大きな力だと思う。

何より文化と芸術が持つ大きな大きなエネルギーが、
周りを巻き込み大きなうねりを生み出すのである。

韓国や中国、台湾。近隣諸国との難しい歴史や政治的な緊張。
どれも取っ払ってボーダーレスを押し進めるのはみんなに支持されるサブカルだ。

前置きが長くなりましたが、ここに紹介する友人は生粋の日本人。
でもはっきし言って、見た目も話し方もアメリカ人である。
超絶音楽マニア、ケンさん。


ケンさんを初めて見たのはお互い忘れもしない2011年9月2日未明。
羽田空港の到着ロビー。

羽田空港近くのホテルに泊まり込んで、未明に到着するガーナからのお客様を出迎えたあの嵐の日。久しぶりの再会を抱擁で噛み締めたその側に現れたのが、ケンさんだった。閑散とした空港に黒人グループを狙って現れたおじさんに、「あ・業界人だ」と瞬時に分かった。ケンさんはこのメタモルフォーゼという音楽フェスの間、彼らをアテンドする音楽人の方だった。


ケンさんは快くショコラ達をバンに乗せ、彼らと一緒にホテルに送り届けてくれた。
Ebo Taylor & Afrobeat Academyはアクラとベルリンの混合チームからなる8人もの大所帯。この音楽フェス中、彼らを乗せて移動するだろう大きなバンで夜明けの首都高を走り抜け、新宿の高級ホテルにウェルカム日本女子達と大荷物を抱える怪しいガーナ人三人組を先導した。ホテルのチェックインもすったもんだで、高級ホテルのくせに白人には絶対言わないような難癖を黒人のおじーちゃんと青年二人につけてくる。呆れるアフリカン日本女子&ぶち切れるケンさん。ネクタイしめてないと信用されんのは会社の面接だけじゃなく、空港、ホテル、世界共通らしい。なんとかチェックインが済んだところで、バンに乗り込むケンさんと西新宿の道路の路肩で立ち話をした。

伊豆半島に上陸した台風のおかげで、メタモルフォーゼは中止。
急遽都内ライブハウスでゲリラパーティを展開。
その名もTyphoon Party

お互いどうしてあんな電車もない夜明けの空港でアフリカからの客人を待っていたのか素性を明かす。青年海外協力隊員としてガーナに二年間暮らしていたときに知り合った友人だと話すと、かの地に住んでいた、そして現在も住んでいる日本人を目の前にした驚きと、「本場で彼らの音楽に触れていたなんて、なんとも羨ましい」と音楽と人に対する素直な気持ちが伝わった。

彼らのパフォーマンスに踊り狂うアフリカン女子&ケンさん

フェスの間は目の回る慌ただしさとハプニングの連続で、
ケンさんはきっと寝る間もなかったに違いない。
やっぱ音楽業界って昼も夜もない、ハチャメチャな生活リズムの、
でも凄い熱気に溢れたアドレナリン大放出の楽しいお仕事なんだろうなぁ。
ガーナで見て来たプロデューサーやアーティスト側とは違う、
エージェントのお仕事を垣間みた瞬間だった。

楽屋にて

猛烈なハプニング嵐とともに最高の音楽の爪痕をみんなの心に残して帰った御一行。
まとまった睡眠もロクに取らずに敢行したハードスケジュール。
あの路肩の立ち話以来ケンさんとは突っ込んだ話もせずに解散した。
そのケンさんから、二週間後に都内イベントのお誘いをいただいた。
なんとDJもされるという。
ふたつ返事で行ったひとつ目のイベントは、母校青学の裏にある六本木通りの青山トンネルにある、
その名も「青山トンネル」。


とってもいい雰囲気の空間の、洒落た小さなバーラウンジ。
いわくスピーカーも最高らしい。
(なぜなら人の声とは違う周波数を使うから、大音量でも会話ができる)
六本木から流れてくるには最高の場所かも?
(事実ケンさんの幼なじみはお仕事でNYからの日本女子映画監督&ヨーロッパのどっかからやって来たカメラマン御一行様を連れて、六本木から流れてきた。超絶人の親友もやっぱり超絶!すごいね〜)

この素敵なラウンジでよーやっと互いにゆっくり話せたのであった。
ケンさんは本当に本当に音楽が大好きで、
好きが長じてNYやLDNでも暮らし最高の音楽に触れ、色んな人と交わり、
色んな音楽のお仕事をしている多彩な人で、
音楽と人間ひとりひとりに対するリスペクトと情熱に溢れる、
とても真っすぐな人だということが伝わって来た。

「自分は好きな音楽をただ追い続けて、
出会った人たちと遊び続けて楽しんでただけですから。
ワールドミュージックなんて一言にくくるのも本当に失礼な話だけど、
いわゆる彼らの音楽に接するのに、原典である英語で直接交流することは、
やっぱりこちらとあちらの壁を越えるんですよね。
直にコミュニケーションを取れると、相手にリアリティが持てる。
だって、同じ人間でしょ?
アフリカからやって来た彼らだって。
多くの日本人にとっては、日本語に訳された
USのHiphopもUKのRockもフェラのAfrobeatも
向こう側の音楽でしかない。
でもそこにいるのは同じ、血の通った人間じゃないですか。
これからの時代はTwitterやFacebookといったメディアで繋がっていく方法なんでしょうけどね、今回フェスが中止になってもゲリラライブにあれだけ人が集まったのが明らかにそれを示してます。
それと同じくらい、世界の最高の音楽を、もっともっと紹介して、多くの日本人に世界の音楽をもっともっと身近に感じてもらいたい。多分それが僕の使命です。
まぁ実際は音楽が好きで仲間と遊んでるだけなんですけどね。」

なんかそんな感じの会話だったと思うんですけど!
違いますか?違ったらゴメンナサイ…
ちなみに昼夜逆転の音楽マニアケンさん、ご結婚されており二児のパパさんでもある。
すごいなー、ますます尊敬!

とにかくAoyama Tunnelではケンさんと濃密なお話ができた、
素敵な夜となりました。
なんと翌日は青山の老舗クラブ、LOOPでもDJ。
ここでは最近マスタリング中というナイジェリアが生んだ最高のドラマー
そしてフェラ・クティ亡き後もアフロビートを牽引し続ける
トニー・アレンTony Allenの新作アルバムからも披露。
日本で今年12月に発売予定だそうです!

三年ぶりだったループ!!!
青学の元同級生の遊び仲間とひさびさに夜遊び♬

なんか色んなお仕事してて謎のケンさん。
フリーランスで働くプロとは、そういうもんらしい。
waxpoeticsという音楽雑誌も作ってる。
10月号の表紙はBlack Presidentとも名高いナイジェリアが生んだ政治家にして最高の音楽家。Fela Kutiフェラ・クティ。ハイライフ・ジャズを昇華させたAfrobeatの創始者でもある。
いろんな活動していろんなメッセージを後世に残した人で、
息子のFemi KutiやSean Kutiは今も健在。
ショーン・クティは今年の朝霧ジャンボにも来た大御所。
超パワフルセクシーダイナマイトのパフォーマンスに、
「目で犯された!」と知り合いが叫んでいたw


waxpoeticsの10月号表紙Fela Kuti

雑誌では、フェラの友人カルロス・ムーアによって執筆され1982年フランスで出版された自伝「Fela: This Bitch of a Life」の日本語訳の2章分が掲載されている。イギリスの音楽大学に留学してナイジェリアに帰国し、彼はバンドメンバー7人の男達とダンサーの女一人とともに渡米する。その散々で破茶滅茶で輝かしい「巨大国家”アメリカ”での経験」が、フェラを覚醒させ、後のアフロビート音楽の方向性、黒人人権活動への傾倒、フェラの所以たる要素を決定付けていく。この本はケンさんにおすすめされたフェラ自伝の一つでもあった。雑誌でも解説されてるけど、全編ほぼ語り口調でストーリーが展開されていく。フェラが話してるみたいで、キャラの濃い突拍子もないパワフルな感じが伝わって来て面白い!当時の様子が伝わってくる。フェラはガーナにも出稼ぎにきて、演奏して、生活している。ガーナってハイライフ音楽とジャズとアフロビートの歴史が深い国なんだなぁ。しみじみ。原本で読んだら臨場感あるだろうなぁ♬


そのフェラ特集の前にフィーチャーされてるトニー・アレン

今もご健在のおじーちゃんで、欧州や西アフリカで活躍している。トニーおじいちゃんは、フェラのバックバンド、アフリカ70のバンドリーダーだった伝説的ドラマー。今もイギリスのレコード会社Comet Recordsに籍を置いて精力的に活動中。

インタビューはロンドン。世界的に有名なドラマーであるジンジャー・ベイカーと再会し、彼の受賞式に呼ばれて演奏する。古い友人、いや同業だから戦友?現代のロンドンの渋滞から、話題は同年代の生き証人ハーストラップとの会話によってアフロビートの興隆の背景を辿っていく。最も勢いのあった70年代に一体何が起きたのか。ナイジェリア、フェラの渡米のきっかけ、トニー・アレン率いるバンド、アフリカ70が生まれた瞬間、フェラの曲と音楽が生まれたワケが回想によって少しずつヴェールを脱がされる。ラストは現代ロンドンでトニーとベイカーが共に歌うという奇跡のセッション。(言っちゃったー)現代のアフロビートから過去が解き明かされたところで、上述のフェラの自伝に頁が進む。完璧。

うわーん!やばーい興奮するー!
だって今トニー・アレン、ガーナの音楽フェスに来てるし!
ショコラ今年そこに居る予定だったのになぜか居ないし!
(その理由は次回明かしましょう)
しかも12月日本来るかもしんないし!
ケンさんいわくそのマスタリング中のアルバム発売と一緒に!

ガーナ最大の音楽フェス「High Vibes Festival」が今月ガーナの首都アクラで開かれている。
フランス大使館、その他からスポンサーを受けてもの凄い規模で運営されてるこの音楽フェスも今年で三年目。それを記念して去年までは一週間のタイトなスケジュールで企画されてたのが、今年は11月まるまる一ヶ月というゴージャス大規模!ガーナ映画「Coz Ov Moni」とナイジェリアの写真家のところ紹介したパンジ・アノフが監督!彼のレコード会社Pidgen Musicが完全バックアップ。
(つーかさー、今年こそは絶対みたいと思ってずーっと前からワンラブに聞いてたのに「今年のHigh Vibes?知らない。パンジー何にもいってこないし」って何だよー!お前結局出演すんじゃんか!他のピジョンの奴らもみんな「今年はやらないんじゃない」とか適当なこと言いやがってー!今年超グレードアップなプログラムじゃん!結局行けなかったけど!チキショー。)


今回アンクル、エボ・テイラー達がやってきたのはトニー・アレンと同じレコード会社で、トニー・アレンがフランスで演奏するから来れない代わりに誰かいないかということで推薦を受けた経緯があったらしい。
そんな繋がりで奇跡的に来日を果たしたエボじーちゃん達。
そんな奇跡のパフォーマンスは、日本人の観客と音楽人たちに想像以上の興奮と感動とを心に刻みつけ去っていった。

この業界裏話とガーナの旋風のストーリーを書きたいから、ということでケンさんはショコラにも一筆お願いされた。なんたる身に余る光栄!ええんでしょうか?私みたいなまがいもんが…アンクルの故郷、ガーナはどんな国で、そこにいる日本人であるショコラが一体どんなことをしてたのか?そんなことにまで興味をもってくれたケンさん。恐れ多い。一生懸命書いた中学生の感想文みたいな拙い文章を、ケンさんはなんと自身のブログ(どっかのアルバムの解説書並みに緻密で濃厚な内容)の文章の締めに、ショコラの感想文をそのまま使ってくれた!ヒエエ!ちょっとご参考にしてくださるだけでよかったんだけど!でもとても有り難く、そしてとても嬉しかったです。何よりアンクルの故郷ソルトポンドがどんなところで、ガーナはどんな国で、ベルリンを拠点に活躍するバンドリーダーのアメリカ人ベンがアンクルに出会ったキッカケ(これまたパンジ・アノフ…もの凄い因果)やかの地の熱風と乾燥と海風と喧噪と音楽と空気とを少しでも伝えることが出来たことが。

ケンさんのブログ in waxpoetics japan

ショコラの感想文は、数回前の投稿「アフロビートの奇跡―序章―」に掲載。

(ちなみにトニー・アレンのアフリカ70が1978年に解散したのもベルリン。アンクルことEbo Taylorのバンド、Afrobeat Academyの拠点もベルリン。どうやらアフリカ音楽の磁場らしい?)

人との出会いは奇なりです。

ケンさんとパンジ、たぶん同い年。

かっこいい大人です。

大好きな音楽に向き合うとき、少年のように弾ける姿。

どこもかしこもHighest Vibingな今月。

今月はパンジー・マンスか?

だって二週間後にパンジーのお兄ちゃんサンドが日本に!しかも横浜にやってくる!

こんなことって、あるかーーーーー?!

しかもドイツからw

今は横浜でゆるりとしてます、流れるままに、流されましょう。

運命のイタズラ、素敵な出会いに★

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