写真撮影

そうこの日の朝は確か、死ぬ程けだるかった。
セウォが夜中スタジオでギターを掻き鳴らし、ピアノを弾き鳴らすのを聞いていた。
A.R.T-African Relaxation Techniques-
モダン・ジャズ、スムージー、オリエンタル、彼のアレンジはどこまでも美しい。
ギタリストが弦で遊ぶように、ピアノの鍵盤の上を転げ、滑るようにコードを弾く様に見惚れた。瓶の底に溜まった木の糟だらけの地酒アペティシェをあおり、鍋で煮詰めた熱いケニア・コーヒーを飲みほしながら、私達は飽きもせず遊んでいた。

コーヒーと音楽の興奮で、たぶんお互い最高に寝不足なまま朝を迎えた。
シャワーを浴びるのも、歯を磨くのも、朝ご飯を食べるのも、何もかもが本当に面倒臭かった。外に出て螺旋階段を降りて、一階アトリエに顔を出し、外の空気に触れて身体を起こそうとしていた頃だと思う。

「パンジーが呼んでるよ!」

伝言ゲームのように、皆の声がこだまする。
声の先を伝っていくと、スタジオにパンジーと二人の男がいた。

「この二人のPR写真を撮ろうと思ってるんだけど、一緒にやらない?」

目が覚めた。


「ひとりはキング・アイソバ。
もうひとりは今年のGhana Music Awardで伝統音楽の部門を受賞したガイ・ワン。
衣装を着て楽器を持って、夕暮れの空と、街の背景で撮ろうと思う。
どう思う?なんかいい案ない?」

ふたりとも伝統音楽の演奏家だ。
最悪に働かない頭で、なんとかイメージを膨らます。

「空は素敵ね、アクラの街?自然はどう?
伝統衣装と現代の町並みのコントラストはいいアイデアだと思う。」

パンジーだって、ニコンのいいカメラを持っている。
どうしてショコラ?写真家なら他にもいる。
誘ってもらえたのが、とっても嬉しかった。
どういうアングルで撮るかを相談されても、英語の専門用語が分からないのが不安だった。

「キッチンに立っている姿を見て、見覚えのある女性だと思ったんだ」
アイソバは、ショコラのことを覚えていてくれた。
「ありがとう。キングはね、日本のアフリカ人やガーナ人の間でも人気なんだよ!」
アイソバは、本当にピュアな目をしている。その目が問いかけて来た。
「気を悪くさせたらごめんなさい、聞きたいことがあるんだけど。」
一体なんだろう?
「おいくつですか?」
北部の都市ボルガタンガ代表の、長い長いドレッド、この日は真っ赤な伝統衣装の、二本の弦楽器コロゴの有名奏者、誰もがしってるキングが、優しく恥ずかしそうに問いかけてきた。
「二十代です。二十八。」
「そっかぁ」
しみじみするキング。
「僕、三十八。」
「えっっっ」
五十くらいのおっさんかと思ってた。だってキングじゃん。意外と若いんだ。
よく見ると、確かに若い。

彼はとても不思議な声で歌う。

そういえば、ロンドンにとんぼ帰り中の映像作家マークも、彼の声で物語のナレーションを録りたいといっていた。彼の声は、木の精霊の声みたいに、自然のものとして響いて、それは子供がとても興味を示すものだとも言っていた。



(彼の一番有名な「I want to see you my father」映像は古い)




(一番最近、ヨーロッパのJazz Festivalに招待されたライブ。
同じPidgen Musicの、Wanlove The Kubolorと)

「いつスンヤニに上がるんだっけ?」
「明日。の予定だったけど…」
「じゃ、今日の午後の空を撮りにいこう」
パンジーは、やると決めたらどこまでも予定をずらして敢行してしまう。
そして周りは、どこまでも彼を待つしかない。
でも今日はセウォが気合いを入れて、他の歌手とも予定を合わせていたレコーディングの日だった。パンジーは着替えて、若いエンジニアに引き継ぎ、いろいろ準備しているのが分かった。もうこれは確定だ。もう眠気も吹っ飛んだので、ショコラもシャワーを浴びて準備する。

パンジーの新しいランクルに四人で乗り込み、彼らの家に行った。
衣装に着替え楽器を取ってくる間、パンジーは近くの物売りで飲み物を買い、そのままおばちゃん達と話し始めた。ここの街はチュイ語を話す人が多く、偶然同じ村出身だったおばちゃん達と宗教の話をしていた。典型的なガーナ人同士の会話の盛り上がり方だった。



「私はカリスマティック派の教会に行ってるの、あなたは?」
「僕はクリスチャンじゃない。敢えていえば、伝統的な神を崇拝してる。
だって、キリスト教もイスラム教も、伝統宗教も、この世を創った神はひとりでしょ?」

この宇宙を創った偉大な存在。
全く同じ考え方すぎて素通りしてしまうほどだった。
だってもっと新鮮に映ったのは、街のおばちゃんとも真剣に話し込んでいるその真摯な姿だったから。

「見知らぬ土地に行くのが好きなんだ。こうやって新しい人と話すのがね。」

新しい人に会えば、どんな人でもその文化で、社会で生きた知恵に出会える。
そしてstrangerとして自分は、なんの価値もまとわないただひとりの人間でいられる。



ガーナの大地を照らす、強い強い日差し。
地べたに座り込んで、炭酸水を飲みながら、チュイ語の宗教談義を聞き流す。
一瞬、一瞬が、とても愛おしく思えた。

突然子供達のざわつく声が聞こえた。
「A---yi---so---ba---!!!!!」
「I want to see you my faaaaaaaather!!!!!」
アイソバとガイワンが帰ってきたのが分かった。
Ghana Music Awardのトロフィーを持って、撮影が開始された。




少し撮影すると、「こんな感じ」と言いつつパンジーがシャッターを切り始めた。
完全に助手と化したショコラ(笑)
楽器、トロフィー、服、カメラ、いろいろ持ってついてまわる。
去年ブスア・ビーチのAkwaaba Music Festivalの後で、突然ワンラブの音楽ビデオの撮影が始まり、家族含めた全員が半日ほど待ちぼうけをして、パンジー自らずーと撮影し続けていたのを思い出す。

「最後にアイソバが歌うから、自分の感覚で撮ってみて」

目の前で突然、アイソバが「Africa」を歌いだした。

はっきり言って、パンジーの求める画がどんなものかよく分かってない。
ただただアイソバに向かって、無我夢中でシャッターを切った。
曲が終わる頃には、集まってきた子供が続けてといわんばかりに踊り始めた。



日本で写真を見てもらった時、距離感とか引きがいいと褒められた。
自分ではよく分からない。
絵の構図を決める容量で、レンズをのぞいてる感覚が近い。
もっと被写体を世界をえぐるような、審美眼が欲しい。

「アイソバの撮影、目の前で歌が聞けて、とても感動したわ」
「アイソバの歌は力強いからね」

アイソバの連れの女性を送り、彼らに金を渡して、途中ガレージに寄って車のシートの破れたカバーを修理して、税関オフィサーをやっているパンジーの女友達に挨拶して、午後いっぱいかかって撮影は終了した。

家に帰ると、もう六時だった。
セウォがギターをつま弾いていた。
女性歌手が帰ってきていないのか、レコーディングは進んでいないようだった。
「もうすぐチェルシー、バルセロナ戦が始まるよ!」
セウォが急かす。
「俺は行くと言ったらいく。でもパンジーの”Im Coming”は、十分も、二十分もかかる」
最近この二人と一緒に近くのサッカーバーに観戦に行くのが習慣になっていた。
日照りのもと撮影を行い、寝不足も手伝って、身体がカラカラだった。
「今すぐガソリンが必要!ケバブもね」
店から道路にまで人が溢れる屋外のスポットは、最高に賑わっていた。
前半戦は三人で相席出来ずセウォと二人で観戦していた。
小さい頃からサッカーをやってるセウォは、相当熱くチェルシーを応援していた。
それ以上のリアクションと、歓声のあがるガーナ人の観客達。
「このガーナ人の盛り上がりっぷりが、楽しいよね」
オブロニふたりで笑い合った。
後半戦で席が空き、パンジーも合流して三人で一緒に観戦した。

スタジオで、車で、スポットで、部屋のソファで、
どれだけ一緒の時間を三人で過ごしたろう

彼らの難解な早口のイギリス英語の談義を聞き流し
ただ傍らに座り同じ時を過ごすのが
至上のことのように感じた

兄弟、アーティスト、親友
本人以上に、彼の周りの大切な人とも仲良くなれるのはなぜだろう
パンジーとの不思議な繋がり
過去世の記憶があれば、ちょっとでも霧が晴れるのだろうか
「未来からやってきたよ」
物売りのおばちゃん達との宗教談義で、私達は皆、祖先から生まれてやってきたのだろう、という問いに対してパンジーが答えた。

試合が終わったら、オスの繁華街に行かねばならなかった。
でもまだ写真のデータを渡してない。
とゆーか専用ソフトで加工処理しないと、写真は商業用には使えない。
「ごめんなさい、今から急いでオスに行かなきゃならないの。
帰って来たら必ずデータを渡すから。スンヤニに行く前に、必ず」
「オス?自分も今から打ち合わせでオスに行くよ。」
再びパンジーのランクルの助手席に乗り込んだ。
夜のハイウェイを飛ばす。

「アフリカって、全然違うでしょ。日本で聞かれたら、どう答えるの?
たとえば日本とかドイツって、秩序があるでしょ、時間通りに動くし」

何が言いたいのかは分かる。
パンジーはドイツ・ハーフのガーナ人。
同居してるお母さんはドイツ人で、お兄ちゃんはドイツに住んでいる。
何もかもがレイジーで、神様頼みのアフリカ。
合理的で自己中心的なアメリカ、文化の誇り高いフランス。
日本とドイツは、時間通りで生真面目で器用。
そんなステレオ・タイプが頭にあるのだ。

「日本の学校でね、アフリカのことを講演することがあるの。
いつも紹介するのは、アフリカの人々はとてもフレンドリー親切で、温かく迎えてくれるということ。お家に泊まらせてくれて、ご飯も食べさせてくれる、頼もしいお母さんBig Mama達を、私は何人も知ってる。パンジーだって、みんなのお父さんとしてDaddyと呼ばれて、居候してる男の子達のことみんな養ってるでしょ。それ以外の人にも、みんなにお金渡して。先進国からみたら信じられない光景よ、凄いと思う。」

人間関係と、金銭感覚の違い。
物質や環境の違いよりも、きっと遥かに違う。

オスのアート・ファクトリーに帰り着くと、友達が談笑していた。
ソファに寝てるガーナ人をからかう。
「チェチェク!」
懐かしい顔と、いつもの顔と、楽しく話していたが温かい優しい手料理を頂いたら急に眠気に襲われた。ヤバい。

「ごめん、十分だけ。」
どうにも座ってられなくて、ソファに倒れ込む。
「データ処理あるから、今晩中にパンジーのとこ帰らなきゃ」
横になって速攻、本気で気を失った。
気づくと朝日が差し込んでいた。
日本を飛び立つ時同様、着の身着のままでオスを飛び出し、スタジオに帰るとデータを処理して、急いでパッキングをし、消えるようにアクラを去った。



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