11日の祈りと、お盆の回想

みんみん蝉が鳴り止まぬ朝、横浜の奥まった小田舎に車を走らせた
日本語と英語とチュイ語が混じり合う車中
辿り着い小山のてっぺんで
私はおばあちゃん達にスワヒリ語の歌を送った

11日は祈りの日
万物に想いを馳せる
命あるものへ
その彼方の宇宙へ

私たちはおじいちゃん達に夏の歌を送った
浜辺の歌と、海の歌と
11日に歌うにはあまりに多くの悲しみを知りすぎたから

でもみんな楽しそうにみかんの歌も歌ってくれた
それだけで私には充分だった
私の十本の指は、黒と白の鍵盤を抱きしめた

おばあちゃんが泣きながら言った
「昔、ひばりさんの歌を友達と歌ったの」
優しいサックスの音色は、愛を燦々と降り注ぎ、
祭りのマンボが宙を舞った

軽快なジェンベにみんなが弾んだ
「ニュージーランドの現地の音楽を思い出したよ」
おじいちゃんが歩み寄ってきてくれた

南方に送られた兵隊さんは
いろんなモノを見て、いろんなことを経験した

「でもいい時だったから、平和で食べ物も豊富で、みんなよくしてくれたよ」

私の想像の及ばない、悲惨な出来事

でもおじーちゃんと分かり合えたのは、
暑い暑い南国の、肌を刺すような日差しと、太陽が高くのぼる海、
緑の大きな葉をなびかせるバナナの木とヤシの木、深い森、
黒い肌、輝く瞳と、命がうつ皮の鼓動

生れ落ちたその瞬間から
人は死に向かって歩みだす

誰と駆け落ちしようが、どんな親に勘当されようが、いくら借金を作ろうが、
どこで暮らそうが、何をして生きていようが、
泣いても、喚いても、笑っても、叫んでも、

意識があろうがなかろうが
自分が自分だとわかろうがわかるまいが
今日のことを明日には忘れてしまっても
あなたが私を覚えていなくても

みんな一緒
ヒトは、死にむかって生きる
だからあなたと今この時を一緒に過ごせる奇跡を
たとえいつか忘れてしまっても、私の細胞はきっと覚えていると思う


ヒトは死んでからも忙しい
お盆はお墓にいられない仏サマ
うちにも三日程、帰ってきたらしい

仏サマとはとかく有り難がられるもので、
本の当に、思い出は美化される
ついでに故人が生きてれば出て来ないような昔話がほくほく飛び出す
なんつーことも仏サマのナントカ光りで
仏の居ぬ間になんとやら

大の赤嫌いの仏サマ、
その父親が抑留時代に本場で赤の先生をしていて、
なんてことをバラしてくれたのは仏サマの弟で

冷えた麦茶と線香の薫りが時を知らせる

シベリアの吹雪に倒れた同朋もいろうだろうに
ヒトの痛みを知るには、想像力が肝要かと

でも黒豆せんべいと海老せんべいが伝えたのは

「捕虜っつーのは殺しちゃならん外国の客だ、
ロシア人は日に二度しか食わんのに日本人は三度も食う、
食いぶちはいらん、はよ国帰れってな。

共産主義の国の仕事は、日替わりさ。
今日は工場、疲れたら明日は事務、つまんなかったら先生やって。
で、先生が一番楽だった。
マルクスばんざーい、レーニンばんざーいって、言ってりゃいい。」

配給される満足な飯と、日本からの仕送りも使い込んで飲み倒した仏サマの父。
氷川丸で横浜に辿り着いた、なんにもなくなった焼け野原。
降り立った体重は百キロを越えていた。
シベリアの吹雪に暮らす、憐れな弟になけなしの金を工面し続けた仏の父の姉サマ。
横浜の港でガン切れ。

本場で赤の先生をしていた仏サマの父。
公安で取り調べも受けたが、日本の共産党にスカウトもされる。

「戦争が終わって、日本の国がなくなったって聞いてな。
帰るかどうか迷った。
帰らなくってもいいと思った。
捕虜は自由に町に出れた。
町に生活を作った日本人も大勢いる。
現地のヒトは、よくしてくれた。
でも毎月、日本から金だけは送られてきてな。
国はなくなったらしいけど、姉サマはどこかで生きてんだろうなと思った。
一度は拝んどこうと思って、船に乗った」

仏サマの父は、赤の議員にも先生にもならずに、下町の職人に戻った。

まぎれもなく、彼は私の祖父だった

風化していく思い出
流れゆく地球の記憶

どこに行っても、きっと何をしていても、
私の細胞はあなたを覚えている






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