日本のボランティア仲間

年越しまであと五時間☆
常夏の越冬以上に振り返りも反省もなく走ってるショコラですが、
ハードディスク損傷によるApple Center入院事件にも関わらず相変わらず調子麗しくないパープルMacちゃんほっぽっても、2011年の最後にこれだけはご報告させてください!

よく「ブログが長い」と感想いただきますが、今回も相当長くなりました。。。
ご容赦ください。。。だって、伝えたいんだもん!!!

途上国で、被災地で、誰かの笑顔のために頑張り続ける
日本のボランティア仲間たち

トップバッター:岡姫♡


海を越えてコミュニティ・オフィサーとして活躍する、唯一無二の同志

目に映る自分の身の回りの人と一緒に、
目の前のできることから取り組む、とても地道な作業。
決して華々しくはないけど、でも直に人と触れ合う、
とても人間味に溢れやりがいのある仕事。

色白、モチ肌、日差しのキッツイ途上国生活がウソのような透き通った肌をした
大和なでしこ代表:岡姫!!!!!

青年海外協力隊の、同じ村落開発普及員の同期。
任国はアジア最貧国のバングラディッシュ

ベンガル語を自由に操る岡姫と再会したのは2011年4月。

二年間をそれぞれガーナとバングラで過ごした。同じく村落開発普及員でしかもアフリカ一過酷なニジェールに行ってた隊員くんたちと各地から集まるため、本州中央の長野県に集合してまだ雪の残る宮城県に向かった。
最初の東北ボランティア活動だった。

何もかもが久しぶりの日本、凍えるように寒い東北、瓦礫跡の生々しい被災地、
被災者の方々との触れ合い、南国とはなにもかもが違う日本の自然、山々、温泉、寺社。

目に映るすべてが痛々しい程胸に刻み込まれ、
触れるもの全てが激しく訴えかける日本と、
その度に強く蘇るガーナの、バングラの、ニジェールの全て。

たぶん岡姫とショコラとニジェールくん達は、
震災直後の日本でそんなものを共有していた。

そこから四ヶ月間、RQの宮城県登米市に通い続けたショコラ。
主な活動先は気仙沼市と南三陸町の沿岸部だった。
被災地では本当みんなに温かく迎えいれてもらった。アフリカ同様ボランティアにいったはずがやっぱり支えられ、ショコラにとっては本吉、歌津、東和は心の故郷、オアシスとなった。特に南三陸町の歌津地区は本当に右も左も分からず活動をはじめた最初の場所で、かんなり思い出深い特別な場所だった。

一方岡姫は秋頃から同じ南三陸町の志津川地区の入谷という場所で地域密着の復興支援活動を展開するユナイテッド・アースという団体に所属し、およそ三ヶ月現地に逗留してボランティア生活を送った。(南三陸町志津川の景色/最後まで住民に避難を呼びかけて女性が働いた防災センター、あの有名な建物はここ志津川にあります)
つまりは完全住み込みのコミュニティ・オフィサーである!!!!!

この12月、ユナイテッド・アースの活動を一区切りした岡姫と新宿でお茶をした。
コミュニティ・オフィサーとして方々走り回った途上国と東北。
もう岡姫のひとことひとことが痛いほど分かる。
いや実際もっともっと南三陸の奥深いところに入り込んで活動してた岡姫に、走り屋として地域を走り回っていたショコラは足下にも及ばないんだけど、でもやっぱ人と人との繋がりが深い田舎のコミュニティ活動って、本当にガーナやバングラと一緒で、やっぱ人間てどこでどんな暮らししてようとも、やっぱし社会を築いて生きるものなのだ。そこにはいろんな関係と、それぞれのルール、それぞれの秩序があって、私達はその合間をうまく縫って入って、繋げたり伝えたりして化学反応をおこし、後ろからうまーくサポートできるよう奔走する。

その岡姫、もう地元のみんなには嫁入りまですすめられw
「いってきます」と戻ることを約束して入谷を一旦離れたのにはワケがある。

そう、JICA短期ボランティアとしてバングラディッシュに戻るのである。
自分の後任として!
世界を股にかける現代の開発フィールドワーカー!
かっこよすぎ!!!

ショコラも歓喜!入谷と離れるのは寂しいし複雑だと思う、
でもやっぱ自分のバングラの村は忘れられない、それはもう自分の一部なのだ。
岡姫の活躍、バングラへの帰還が自分のことのように嬉しい。

日本で、横浜で、いったい何をしているのだろうと、ふと落ち込む。
私はアフリカに、日本に、何ができるのだろうと途方に暮れる。
岡姫が輝くとびきりの笑顔でショコラを応援してくれると、
たちまち元気になれる。本当に本当にありがとう、岡姫。
大好きよ、そして大尊敬!

身体気をつけて頑張ってきてね、そして元気でまた会おうね!


岡姫とお茶したこの日、RQ市民災害救援センターは東京でシンポジウムを開いていた。
ほぼ自宅療養して過ごしていた11月。12月に入ってやっと外に出掛けることも多くなり、前出のバーチに誘われ出向いた。関係者に対する一般公開の活動報告と今後の方針説明が、代々木で行われた。

震災からちょうど9ヶ月。
それは私達が日本に帰国して同じ年月。

日本が、世界が、衝撃を受けた日から九ヶ月。
震災、津波、原発。
12/28に放映された報道ステーション見た方はどのくらいいらっしゃるでしょう?
関係者から詳細なインタビューを取り、緻密に立証した原発へのテーゼ。
私達の生活は、社会は、文明は、あの日大きく変わった。
それによって、もっともっと、社会が変容することを望みます。

被災地の緊急支援は、復興支援へと刻々と形を変えて、
全く生活の変わってしまった被災者の方々を支えるべく、
全国からボランティアが集まって今も尚精力的に活動を展開し続けている。

ショコラが参加をしていたRQ市民災害救援センターは、
一般社団法人RQ災害教育センターと名前を変え組織を変えました。
災害直後の緊急支援から始まり、中期復興支援はさまざまな分野における地域振興活動を経て、RQの強み「野外教育」を活かした展開に至りました。引き続き被災地の復興活動の支援と、長期的視野に立ち災害から学び教訓を活かす「災害教育」を押し進める場として活動を発展させていくことをシンポジウムで発表。コアに掲げられた「人的成長」は、ボランティア活動をする側もされる側も活動によって得られるが、世界中の先進国及び途上国でボランティアリズムの啓発を進めるUNV国連ボランティア計画も最も重視する、これからの社会に必要なことのひとつです。



尊敬する大好きなふたり☆

左:和太鼓と獅子舞のイノリさん
右:歌津てんぐのヤマ学校の蜘蛛仙人!ことスパイダーさん

も〜RQで出会った人達は、ひたむきに、素直に、己が道を歩む方ばかり!!!!!
アフリカ以上にサバイバルな環境で、アフリカ以上に日本で自由に活躍される方ばかり。
だってさー、陶芸家とかサーファーとか、日本でOLしてたら出会わないような人種ばかり(笑)が、日本の一大事にここぞと活躍する災害最前線。堅苦しい日本が苦手なショコラだけど、こんな自由で伸びやかに生き、輝く先輩達に出会えた登米に、この運命に感謝です。

イノリさんの演奏では、和太鼓演奏の前にイノリさん作の祝詞を歌わせてもらいました。
イノリさんがケニアの港を出航するときにアフリカのみんなの笑顔を思って作った歌。
アフリカ帰りのショコラ、なんつー光栄!
源氏蛍が有名な登米市東和町の七夕祭りを、大阪からのバンドマン「おかん」と一緒に盛り上げました。南三陸町中瀬地区のみんなが避難される避難所で弾かせてもらったピアノ、音楽の素晴らしさをあらためて教えてくれました。中瀬の区長さんにもシンポジウムでご挨拶!お久しぶりに元気そうな笑顔をみれてよかったです。

そして蜘蛛仙人ことスパイダーさん☆
RQ歌津センターは、「歌津さえずりの谷 てんぐのヤマ学校」に生まれ変わりました。
ショコラ思い出の地、南三陸町歌津に根ざす支援の場。是非リンクをご覧下さい。
実際のとこショコラは支援物資を個人被災宅にお届けしていた配達屋さんだったので、
歌津のボラセンに顔を出したのは数回でした。
でもなぜかそれがよりによって伊里前地区の契約会(江戸時代から続く地元組織)のみなさんを初めてご招待したバーベキューだったり!いろいろと現状をお聞きして、こちらの活動方針なんかもお話させてもらいに行ったはずが、お酒もらって海の幸に舌鼓を打ち、話に花が咲きまくり、案の定お泊まりコースで他のボランティアに借りてた車で車中泊させてもらうという、トンでも出張になり。
でもそこで優しく迎えてくださったスパイダーさん。
自然を大事に水道電気なしテント生活を送り、写真清掃や漂着物の清掃などに取り組む歌津ボラセンの運営に携わる、コスプレではなく本気修験者の姿は、まさに山から下りて来た仙人そのものだった。

日本帰国後、なぜか戸隠や熊野といった日本有数の修験場に足を運びお参りしていたショコラ。大阪の従兄弟がひく地車(だんじり)など、体現する文化に大いに興味関心をもっていた。その土地の伝承や神話、神仏融合と分離の歴史、修験について自然と心が傾いていた。
ところに蜘蛛仙人あらわる!そして言うではないか!
「ここ三嶋神社ってのは、とても激しい神輿、まさに山車をひくんだよね。しかも山伏をかたどった衣装を子供が着るんだ。神主さんや神社の役割も神仏融合が残っていて、独特の歴史と習慣が息づいている。
そして総本山の静岡県三島市の三嶋大社から、今度神輿を一基寄付していただく復興プロジェクトが始まってるんだ。」

それはRQ本部で聞いていたどこかの財団による支援プロジェクトで、当時方々を走り回る配達屋さんデリバリー/情報チームに他にそのようなニーズや可能性がないか、直前に訊かれたたばかりの情報だった。

住民と、歴史と文化と、伝統と今の生活が一体となった復興支援。
ステキじゃありませんか?


お次は宮城県石巻市に移って、大好きな癒し系お兄ちゃん仁くん♡
RQ河北ボラセンは、復興支援チーム「リオグランデ」に生まれ変わりました。

仁くんと逢ったのは4月。
デリバリーで物資を配達してたとき、来たばかりの仁くんとコンビを組んで本吉地区を中心に回りました。実質一緒に過ごしたのは、このたった一日。仁くんは不思議な人で、癒しオーラを放つとっても優しいお兄ちゃんだった。偶然のタイミングで仕事を退職した仁くん、偶然のタイミングで帰国したショコラ、お互いの事情で参加した同じボランティア。お互い好きな音楽。いろんな話を車中でした。その後すぐ、仁くんは河北のボランティアセンターに移っていった。

でも翌月登米に戻って来たときにも、仁くんはRQ河北に留まり活動を続けていた。
その頃はもうすでに河北サブリーダーな地位になって(笑)情報交換や物資至急でたまに本部の登米に来ていたのだった。頑張ってる仁くんの顔を見るたびに嬉しくなった。

4月からずっと一緒にRQで活動してきたタクミと一緒に
雄勝や石巻をまわって他ボランティア団体に顔をだした7月。
専修大学キャンパスで毎週行われる、石巻で活動する全ボランティア団体が集まる石巻社協ミーティングに参加した時。そこにRQ河北代表として出席していたのはなんと仁くん!嬉しい再会。やっぱりショコラは飛んで喜んだ。

横浜にいる時、JICA出前講座で講義した立正大学の国際学部の学生さんたちは、
ボランティアサークルとして偶然にもここRQ河北で活動をしていた。

12月のシンポジウムで再会した仁くん、なんかちょっと貫禄が増していた。
河北もとい新生リオ・グランデの説明は、代表塚原さんが行った。

みなさん「大川小学校」って、この九ヶ月の間に一度は耳にしたのではないかと思います。避難の途中でたくさんの児童が命を落とした、石巻市河北地区の小学校です。リオ・グランデとはスペイン語で大きな川の意。RQ河北はここ大川小学校の地域住民のために泥だしや瓦礫などの片付け作業、思い出の写真洗浄、そして子供達との交流を行ってきました。「今一緒に活動に取り組む中学三年生の15歳の子達が20歳になる5年後まで、見守りたい」塚原さんの真摯で実直な言葉は、みんなの胸を打った。


あと、もうちょっとだけ!!!!!
被災地で女性支援のために奮闘する、河崎さん♡
シンポで会ったらなんと住民票まで登米に移っていた!!!
もう脱帽っす、足向けて寝れません、蒸し風呂体育館でのびて転がってるオババを座敷童子サーヤとからかってゴメンナサイ。許してちょ。
只今、地元に根ざした密着活動に邁進するパワフル姉さん!!

RQ被災地女性支援センターは、めぐみさん筆頭に登米市をベースに女性のエンパワメントに力を入れる団体。そりゃそうでしょ!なにかとマイノリティ扱いを受ける女性や子供。でも女性が元気になれば、社会も元気になるのは世界共通!女性が笑えばお日様も笑う!
途上国だって、女性が手に職をつければ家族は飯が食え、子供は学校に通えるのだ!
ショコラは女と子供に甘い、フェミニストである!

デリバリーチームのとき、変わっていく支援に合わせ体制を変えてく中、
ばりばりと仕事をこなしサラっと去っていった眼鏡が似合うデキル女・村松さん。
12月、嬉しい再会!今度はなんと女性支援チームで活躍していた!
うおーーー、村松ねえさん、さっすがやーーー
眼鏡かけてなくて髪も切ってすっかり変わって最初わかんなかったけど、
声掛けてくれてありがとう!!!むっちゃ嬉しかったです!

以上、ショコラの大切な日本のボランティア仲間を中心に
RQのその後の様子、被災地支援の様子を断片的にお伝えしました。
あくまでショコラが関わった範囲で知りうる限りの具体的なお話、
もっともっと支援を続けていくお手伝いを皆様にも呼びかけたい。
そんなお話を中心にさせて頂きました。

RQにとっても活動が一区切りついた九ヶ月目。
シンポジウムには各活動リーダーなどの内部関係者による報告だけでなく、
RQを支えてくれた地元の方や登米の区長さん、
共に暮らした避難所の志津川中瀬の区長さん、
活動先の区長さん、三島神社や大川小学校を含む関係者の方々、
懐かしい様々な方を拝顔することの出来た貴重な機会となりました。


締めはこの二人♬
てゆーか聞き逃したシンポの概要もこの二人の要約で◎
デリバリーで一緒だったブンヤの宮崎さんと壮絶女子バーチ。

この方々は南相馬から熊野まで、困ってる人がいたら社協に飛び込んで、独自のネットワークを駆使してバリバリと手助けに走り回り独創的な活動を展開する、もはや活動家である。
(バーチについては写真展に来てくれた前回ブログをご参照☆
気仙沼市の離れ島、大島での患者搬送ボランティア活動にも駆けつける、
本当にこの子と体力と気合いはどこから湧いて出るのだろうと思う
物凄い若干齢二十伍の娘である)
宮崎さんといえば思い出すのは、デリバリーのピリピリした緊張感の漂う会議、
全国から寄付された杵うすで、避難所で餅つきをしたらふく食ったおいしいおモチ。

とにかくちゃんとした仕事しながら、半端なく活動的なふたり。また飲もうね♬

自由人がいたり、仕事人がいたり、凄い日本人にいっぱい会った東北ボラ。

みんな想いはひとつ、誰かの笑顔のために何かをしたい、
ただ自分に出来ることをひたむきに取り組んできた。

そして今尚、被災地で精力的に活動を行っている。
復興への、遠い道のりを、一歩一歩、前進するため。

ひとたび現場にたてば、援助とかボランティアとかって、
いろんな考えややり方がぶつかる。

でもボランティア精神って途上国も先進国も関係なくって、
「お互い助け合うこと」
そしてそれを通じてする側もされる側も得られる
「ささやかな喜び」
その生きてる実感が、人の心を満たすのだ。

UNV事務局長フラビア・パンシエーリ女史が言う。
「一度ボランティアを経験した人は、永遠にボランティア精神を持ち続けます」
そんなことが偉いとか、価値があるとか言うつもりは毛頭ない。
でも次の言葉は、今の日本人の私達にはどう響くだろうか。
「ボランティアというのは”社会の幸福”の基礎なのです」

ボランティアは一方的に与えるとか与えられるの関係ではなく、
互いに与え合うことのできる関係なのだ。
それを体感しているから、みな被災地に何度も足を運ぶ。
いろんな国からボランティアがやってくる。
繋がっていたい、寄り添いたい、
そう想って、大勢のボランティアが被災地で年を越した。

同じ日本で起きていること、どうか関心を持ち続けてください。
出来れば足を伸ばしてみてください。
あなたに出来ることは、たくさん、たくさん、あります。
確かに歩み始めた、でも容易くはない復興への道程。
ショコラの身近な例をご紹介しましたが、
これをきっかけに興味が広がり、支援の輪が広がればとても嬉しく思います。
何卒宜しくお願い申し上げます。

宇宙と地球に大きな変革がもたらされる2012年、
日本が力強く歩むことを、
そしてアフリカの、アジアの、世界中の子供が、
ママやパパが、おじーちゃんおばーちゃんが、
暖をとって
ご飯をおいしく食べて
健やかに
安全に
笑顔で過ごせることを、
心より祈ります。


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